土間の上の火袋の大空間に見応えのある小屋組み( 縦横に木を組み合わせたもの)が良く見られます。 京都が近代化するにつれて明治時代になると町家が大型化してゆき、二階があるのが一般化して行く過程で構造を支えるために出来た仕 組みなんだそうです。「じゅんとうさんぺき」とは元々お寺に準じた小屋組みでした。二階建てになり「火袋」(吹き抜け)とするとそこだけ二階がない分重みが足りなくなります。重みを足すための造作であると同時に大工の腕の見せ所でもありました。私たちはその当時の大工さんの職人としての心意気を今でも見ることができます。丸太などを縦横に組み合わせて、素材の良さ、組み合わせのセンスの良さや腕の素晴らしさを見せつけるものになっています。