第8回『楽平家オンラインサロン』
水彩画にみる19世紀ビルマの楽器:
オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵の水彩画コレクション
2021年4月14日(水)20:00 〜

「ザップエ(演劇)の様子」(オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵の水彩画から)
プロフィールと内容
水彩画にみる19世紀ビルマの楽器:
オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵の水彩画コレクション

今回のオンラインサロンでは、19世紀にビルマ(以下、当時の国名を表す場合には「ビルマ」を使用します)の絵師が描いた水彩画の中から、楽器やその演奏の様子が描かれたものをとりあげ、当時の音楽文化について、現在と比較しながら考えてみます。

例えば、このホームページに掲載した水彩画。これは「ザップエ」とよばれるミャンマーの伝統的な演劇を描いた絵で、左側に楽器の演奏の様子が描かれています。ここに描かれている楽器は、今日のミャンマーでも使用されている管楽器や打楽器ですが、現在のアンサンブルでは欠かせない楽器がいくつか見当たりません。そして演奏と演技が行われている場所は、舞台上ではなく地面に敷いた茣蓙の上。これも今日の上演形式とは異なっていますね。真ん中にある木の箱。これは何のために置かれているのでしょうか?踊りを踊っている女性の右側に描かれた木。その下に四つ置かれているのはティーポット?謎だらけですが、当時ビルマに滞在していた宣教師やイギリス人の学者たちが残した文字資料を読むと、「なるほど!そうだったのか!」と目から鱗の発見に遭遇します。今回のオンラインサロンが、このようなミャンマーの音楽と芸能の奥深さを、みなさまと共有するきっかけとなればと願っています。また発表後、ミャンマーの文化一般に造詣が深い先生方はじめ、多くのみなさまからの様々なご意見、ご感想など、自由にお寄せいただけますと幸いです。

なお、今回のオンラインサロンの内容は、ミャンマーの現状と直接関わるものではありませんが、魅力あふれるミャンマーの音楽文化を守っていくためにも、「平和な日常を取り戻さなくてはならない」という切なる願いを込めてお話しさせていただきたいと思います。

丸山洋司


丸山洋司(まるやま ひろし)

1979年長野県生まれ。2010年、東京芸術大学大学院音楽研究科にて博士号(音楽学)取得。現在、学習院女子大学、国立音楽大学ほかの非常勤講師。学生時代はインドで古典声楽やシタールの実技を学び、現在は南アジアや東南アジアの音楽の歴史に関する研究や楽器の演奏活動に取り組んでいます。即興的でスリリングな演奏様式、アジア諸地域の音楽の歴史的なつながり、奥深い音の世界に興味がつきません。ミャンマーを初めて訪れたのは2013年。その後ほぼ毎年、ヤンゴンとマンダレーで、特に古典音楽に関する現地調査を行ってきました。今後も古典声楽とパッタラー(竹琴)、ミャンマー様式のピアノの実技を継続的に学んでいこうと考えています。

ミャンマー古典音楽に関する論考:「ミャンマーにおける西洋楽器の受容―伝統音楽におけるピアノの使用に関する一考察」(『東洋音楽研究』 2016年) 「弓形ハープとミャンマーの文化―サウンガウッの形・装飾・製作工程」武蔵野美術大学教育文化・学芸員課程研究室編(『美術大学における教育資源としての楽器−中村とうよう氏寄贈の楽器を中心に』 2016年)
【楽平家オンラインサロン 第8回報告】
今回も午後8時から9時半までのオンライン開催で、参加者70名以上とにぎやかな会合となりました。

 お話しのタイトルは、「水彩画にみる19世紀ビルマの楽器:オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵の水彩画コレクション」です。

 話し手の丸山さんのご専門は音楽研究で、インドに留学しシタールという楽器やボーカルについて学んでいました。ミャンマーを2013年に初めて訪れ、音楽と文化の結びつきやインドの音楽との関係に興味を持ったそうです。
 ミャンマーの演奏スタイルは即興のダイナミックさや、生き生きとした様が魅力だとのこと。
 今回のお話では、19世紀にビルマの絵師が描いた水彩画で楽器や演奏の様子が描かれたものを見ながら、解説をしていただきました。
その水彩画は、英国オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵の「ビルマ人の生活を描いた水彩画」というコレクションで、ロンドンの古書販売業者トレガスキスが1897年2月に入手したものです。
 すべてビルマの絵師が描いた水彩画で、各絵に宣教師が記した英文の説明があります。西洋文化中心的な記述がみられる点は注意が必要ですが、図像資料と文字資料の両方が残っている点で、史料的価値が高いと、丸山さんから紹介がありました。

 ボドリアン図書館の以下のウェブサイトで誰でも閲覧、ダウンロードできるようになっています。
https://digital.bodleian.ox.ac.uk/

 なお、19世紀当時の国名(対外呼称)を表す場合には「ミャンマー」ではなく「ビルマ」を使用されました。
19世紀ビルマの楽器たち
この絵に描かれている楽器のほとんどは現在ミャンマーでも使用されているとのことです。円形に並べられた太鼓やゴングのセットは、サインワインとよばれる大音量の合奏で演奏をリードする楽器です。この合奏は、舞踊や演劇に付随する形で賑やかに演奏されます。パッタラー(音板がならんだ竹琴)やサウン(竪琴)は、主に歌の伴奏で用いられる楽器です。これらの楽器は、主に室内で演奏される小編成の合奏で用いられます。


これらの楽器は、こんにちのサインワインでは見られないものです。
 〔タヨー、ミヂャウン〕これらは音量が小さく、小さい楽団編成で使用されます。現在演奏する人がいなくなっており、タヨーがバイオリンで、ミヂャウンがハワイアンギターやスチールギターで代用されているとも言えると指摘されました。なお、ミヂャウンは足元に水平において演奏するそうです。
伝統劇
①ザッポエ〔大衆演劇〕
 主な登場人物の役柄は4つ、王子、王女、道化(右側)、それから鬼(バルー)です。
 画面中央あたり、バルーの仮面がパッワインの周りの木枠に吊るされていますが、これは劇中バルーに早変わりして登場するためにここにかけてあると説明されました。
 宣教師が残した手記によると、情景の効果がないため雰囲気づくりがなく、俳優は自分の出番が終わってもステージの端で黙ってみていることがあったそうです。

 また、田村克己さんにご教示いただき、堀田桂子さんの論考で見つけたことに、当時は舞台ではなく平地劇であり、劇を取り囲むように観客がいたということでした。後年、演奏や舞台の環境がかわってきたとのことです。

 この絵の右側に描かれている舞台装置、枝葉が飾り付けられている木製のスタンドについて。イギリス人の手記にも「(舞台に)必ず木がある」という記述のあることを紹介されました。また、絵の中に描かれている木の下のほうに置かれている4つの器。これらはティーポットのように見えますが、よく見ると注ぎ口がありません。おそらく夜通しのザッポエで、木を照らすためのろうそく立てだろうとのことでした。
 また、中央あたりに置かれている木の箱。これは、当時イギリス人たちが残した手記によると、玉座として象徴的にもちいられたものだそうです。ただし、箱を使ったパフォーマンスがおこなわれた可能性もあるそうで、そして、そのような習慣がうかがえる、興味深い動画の紹介がありました。


②糸繰り人形劇
 絵の中では、人形を操っている人が見えるようにカーテンが上がっていますが、実際もそのように人形劇師が見えるようにやっていたのだろうかと指摘されました。丸山さんは人形劇でこうしたところを実際に見たことがあるそうで、演者を見せるのも演出のようだとも話されました。
儀礼・祭り
儀礼や祭りなどで演奏されることもあります。
 宣教師の手記から、この絵は奉納儀礼・放生会(A life freeing feast)の前に行なっているのではないかとの見方をされました。絵の中では女性が危なっかしい様子で牛車の上に乗って踊っていますが、田村さんによると、農村部で見たことがあるそうです。
 また奉納儀礼・放生会(A life freeing feast)について、この絵のタイトルに「Kah Gyee Thee」とあるのは、原田正美さん、ナンミャケーカインさんより、「踊り子」の意ではないかとのご指摘がありました。
 雨安居明け、ダディンジュ月に行われる灯明流しの絵です。ミャンマーの灯明祭にあたる儀礼は、インドにもあって、この絵を見るとインドとのつながりが感じられるそうです。
 この川遊びの絵では、2艘の船に板を渡して舞台を作っています。バランスをとるのが大変そうです。またこの絵について、宣教師は手記の中で「歌手には即興的に歌を作る技量がある」と説明しているそうです。
 なおミャンマーの音楽の演奏では、即興的に創作する技が重要なのだと話されました。「演奏における即興性」というテーマについては、スーザーザーティイーさんが「ミャンマー古典音楽の旋律型とその演奏技法」という論文を紹介されました。

 また、ミャンマーの新年は水をかけあう「水祭り」で祝いますが、同じ時期、インドでは色粉や水をかけあう祭りが行われるそうです。1週間くらい前になると、家の屋上から水風船を投げつけられ、はじめはわけもわからず水浸しにされたというエピソードを語られました。
家庭での演奏
 家庭での楽器演奏の絵もありました。
この絵に描かれているのはミャンマーの伝統的な竪琴「サウン」です。サウンの形には象徴的な意味が込められているそうです。また宣教師のメモには「サウンが子どもの命名式で演奏された」と記されています。

 パッタラー(竹琴)と、その隣で男性がチングィンという楽器を持っています。チングィンは現在「スィー」と呼ばれている金属製の小さなシンバルです。「スィー(拍子を取る楽器)」は小さく持ち運びもできますが、演奏するときの持ち方が少し難しいそうです。ミャンマーで買った「スィー」を授業で学生に鳴らさせてみると、すぐにできる人とそうでない人がいるとのことです。
 なお、20世紀以降、パッタラーの奏者たちは西洋のピアノをミャンマー・スタイルで演奏する技法を開拓したそうです。丸山さんはこのミャンマー・スタイルのピアノ演奏に惹かれたそうで、現地の奏者の元に何度も通って奏法を極めてみたいと語られました
自宅で、パッタラーを練習中の丸山洋司さん(撮影日2021年4 月、本人 提供)
<無断転載ご遠慮ください>
 大道芸を描いた絵について。宣教師の記録によると、蛇使いはインドにはたくさんいますが、ミャンマーには少ないとのことです。蛇使いはタトゥーを入れています。
 タトゥーを入れることと社会的な地位や職業との関連性がなにかしらあるのではないか、というお話がありました。たとえばサインワイン楽団のリーダーにあたる人物がタトゥーを入れて描かれていることが多いそうです。これはタトゥーを入れることが「音楽家としての地位が高い人物のみに許された」ことを示唆しているのではないか、と指摘されましたが、参考文献はなく、この点ははっきりわからないそうです。
まとめ
今回見せてくださった水彩画コレクションについて、丸山さんは、これらの絵はミャンマー、日本、インドなどアジアの国々のつながりを感じさせ、アジアやミャンマーの魅力が伝わってくると話されました。
 また、舞台以外のいろいろな場所で演奏されていたことや、演奏することの意味が現代とは違うことも想像されるということです。
 そして、まだアメリカ、イギリスにはたくさん資料が残っているらしく、さらに、また現地調査ができるようになったらこれまで行ったことのない農村部に行き、これからもミャンマー文化の奥深さを見ていきたいとの言葉でお話は締めくくられました。

 その後の質疑応答では、参加者各氏からの補足もあり、さらに話が広がっていきました。
 ナンミャーケーカインさんからは、蛇使いの場合はタトゥーをすることによって蛇に噛まれても死なないセイピーレーという「おまじない、ジンクス」のようなものと説明がありました。
 それについて丸山さんからは、サソリの絵は蛇が怖がるもの、一方カエルは蛇の好物。それにより、サソリの絵を見せて蛇を離れさせ、カエルを見せて近寄らせるなどして動きを操っていた、と宣教師のメモにあるとの話がありました。

 高橋ゆりさんのお話しでは、数年前に農村で糸操り人形の上演について聞いてみたところ、今はもう観光客向けのみ残っているとのことでした(50年ぐらい前にヤンゴンのチーミンダインにはあったそうです)。
 高橋さんによると、1930年代には下火になっていたようで、作家のゾージーが1950年に出版した農村の思い出の小説の中に、女王の人形を抱えて野垂れ死にする操り人形師のおじいさんの話があるとのこと。これはおそらく、宮廷で盛んになった操り人形が、後年庶民のものになっていったものの、時代とともに映画が盛んになってゆき、衰退していったようだと話されました。

 また、スィーワー(右手にシンバル、左手にカスタネット)は、今でも右手のシンバルだけで演奏することはよくあり、左手で腿をうって拍子をとったりするそうで、ナンミャケーカインさんも大学時代に踊りを習っていた時、「スィーネーワー、スィーネーワー」と先生の合図で太ももをたたきながら踊ったということでした。
Q&A
Q:ミャンマースタイルのピアノ演奏は、曲は洋楽のレパートリーとまた違っているんでしょうか?
A:ちょっとツェルニーをやったことはあるという人はいるが、考え方や指の使い方からしてミャンマースタイルになっていますが、ただし古典音楽のスタイルはこれからは少なくなっていくだろうとのことでした。ウー・イーヌエという演奏家はミャンマーの音楽を400曲くらい覚えていてどこからでもすぐに弾けますが、洋楽のことはご存じないそうです。

Q:ではピアノが土着化しているといえるのでしょうか。作曲している人はいますか。
A:新しいものを作りつつパフォーマンスを続けています。数字譜を作ったりしているが詳細に表すことは基本的にしません。各人のスタイルで体でおぼえるようです。

Q:舞台の上で、男女の役割ははっきり分かれているのですか?それとも実力次第ですか?
A:兵頭千夏さんから;ザッポエーでは男女別役割がありますが、お笑いでは男性が女装をしたりします。

Q:チーワインは19世紀当時は円環状に1列並んでいたのが、今は1列ないし2列に改良されているのは興味深い変化だと思いました。ドウンミンは当時ありましたか?また、操り人形の操り師が表に出るのは文楽を想起しました。(もしかしたら汎アジアの特徴かもしれませんが)
A:円形のチーワインは今もあります。ドウンミンは当時あったかはくわしくはわかりません。
A:高橋さんから;チターのことでしょうか。ミャンマーのポピュラー音楽では植民地時代などに非常に人気があったのではないでしょうか。

Q:この形式が完成されたのはいつごろのことでしょうか。
A:資料が少ないので難しいです、サインワインはタイの影響もあるかと思われます。

Q:インド音楽との相互影響関係はどの程度みられるでしょうか。
A:ミャンマーとインドはそれぞれだと思いますが、一歩引いて見ると、即興的なやりかたや、ヨーロッパ楽器の土着化(インドはバイオリンなど)が似ています。これらは日本ではあまり考えられません。

Q:操り人形劇は、何の目的で上演されていたのでしょうか?
A:兵頭さんから;糸操り人形は、マンダレー王宮で栄えた仏教説話(「ジャータカ」など)、王様の話が演じられていたそうです。
(記事執筆:鈴木貴子)
<無断転載ご遠慮ください>
アンドモア
今回の丸山洋司さんのお話しの参考文献は、以下の通りです。

  1. Garfias, Robert. "The Development of the Modern Burmese Hsaing Ensemble," Asian Music, 16-1, 1985, 1-28.
  2. 井上さゆり「ビルマ古典歌謡の旋律を求めて :書承と口承から創作へ」 風響社、 2007。
  3. 堀田(土佐)桂子「平地劇から舞台劇へ:一九世紀末ビルマにおける視覚の変化」横山俊夫編『視覚の一九世紀:人間・技術・ 文明』思文閣出版、1992、65-99。
  4. 岸辺成雄「箜篌の淵源」『唐代の楽器』音楽之友社、1968、169−209。(初刊1958)
  5. 丸山洋司「弓形ハープとミャンマーの文化―サウンガウッの形・ 装飾・製作工程」武蔵野美術大学教養文化・学芸員課程研究室発行 『美術大学における教育資源としての楽器―中村とうよう氏寄贈の楽器を中心に』2016a、34-47。
  6. 丸山洋司「ミャンマーにおける西洋楽器の受容:伝統音楽におけ るピアノの使用に関する一考察」『東洋音楽研究』81、2016b、121-136。
  7. ス・ザ・ザ・テ・イSu Zar Zar Htay Yee「ミャンマー古典音楽の旋律型とその演奏技法」博士論文、東京藝術大学、2015。
  8. 田村克己「水の祭りと火の祭り」田村克己・根本敬編『暮らしが わかるアジア読本 ビルマ』河出書房新社、1997、12-19
  9. 田村克己「この世に生きる」田村克己・根本敬編『暮らしがわか るアジア読本ビルマ』河出書房新社、1997、112-119。
  10. U Khin Zaw. Myanmar Culture. Yangon: Today Publishing House, 2006.
  11. Williamson, Muriel. "The Iconography of Arched Harps in Burma," Widdess, D.R. and R.F.Wolpert (eds.) Music and Tradition: Essays on Asian and Other Musics Presented to Laurence Picken. New York: Cambridge University Press, 1981, 209-228.
(作成:丸山洋司)
丸山さんが、ミャンマー音楽について書かれた論考2点を紹介します。
  1. ミャンマーのおける西洋楽器の受容
  2. 弓型ハープとミャンマーの文化

丸山さんが、ミャンマー・ピアノを演奏されている動画リンクは、 以下の通りです。
次回の「楽平家オンラインサロン」
次回は、日本―ミャンマー合作映画『僕の帰る場所』の監督、藤元明緒さんによるお話しです。在日ベトナム人をテーマにした新作『 海辺の彼女たち』のことや制作のエピソード、ミャンマーとベトナ ムとの比較などをお話しされます。
5月6日(木)の予定で、いつもの第2水曜から変更となっていますので、ご注意ください。
時間は、いつも通り、午後8時から9時半までです。

6月は、京町家と京都の文化についてのお話を予定しています。
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