第7回楽平家オンラインサロン
赤十字運動と私-人道支援と中立性
2021年3月10日(水)20:00 〜

撮影日2017年11月、撮影場所ラカイン州ブティダン(億栄美 提供)
プロフィールと内容
億栄美プロフィル

京都出身。立命館大学産業社会学部卒業後、在学中に旅行したタイに魅せられ、渡タイ。カセサート大学で日本語講師として勤務後、フランス留学、ミャンマー留学などを経て赤十字国際委員会I C R Cミャンマー事務所で英語、フランス語、ビルマ語の通訳官として勤務。主に刑務所訪問に従事(2002年2月〜2007年10月、2013年5月〜2020年6月)。


プレゼンテーション内容


こんにちは。億栄美と申します。
私は2000年から2007年、2013年から2020年の14年間ミャンマー で過ごしました。この間仕事で各地を回りました。主な仕事は刑務所を訪問し受刑者の生活改善を図るもので、月に10日は刑務所に行っていましたので、私のミャンマー の思い出の大半は受刑者と刑務官との対話です。ただ、刑務所の状況については守秘義務がありますので、コメントできないことご了承頂きたく思います。
今回は「赤十字」とはどういう団体かということをご紹介させていただきたいと思います。日本赤十字、いわゆる日赤と聞くと、皆さん献血などのイメージを持たれるかと思います。私自身I C R Cに入るまでそうでした。日赤とI C R Cは姉妹関係にあり、赤十字運動と呼ばれています。私自身I C R Cに入ってから、赤十字の歴史などを勉強したのですが、ほとんど知らないことばかりでした。赤十字は身近な団体だと思いますが、どういう活動をしているか実情はあまり知られていないのではないでしょうか。
皆さんに是非ご紹介したいと思います。
【楽平家オンラインサロン 第7回報告】
午後8時~9時半、オンライン開催、参加者およそ70名
今回のお話のタイトルは「赤十字運動と私―人道支援と中立性」です。

話し手の億さんは国際赤十字社(ICRC)ミャンマーに在籍し、ミャンマーの刑務所を訪問し、囚人の待遇改善などのお仕事をされていました。

赤十字の誕生からICRCでの活動など盛りだくさんのテーマをお話しくださり、あっという間の90分でした。

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【きっかけ】

億さんはこれまでに2つの期間、合計14年間ミャンマーに滞在していました。

はじめはヤンゴン外国語大学に1年留学し、翌年2000年からの6年間いました。2007年9月にサフラン革命が起こり、ICRCの活動も一旦停止。それで億さんは2007年10月にミャンマーから出国しました。それから5年の空白期間に、ミャンマーではICRC自体がほとんど活動をしていませんでした。その後、2013年にICRCの活動がミャンマーで再開されるときにまた戻り、それから7年間活動しました。

裏を返せば、赤十字が活動をしているときは億さんがミャンマーにいたというわけで、ICRCミャンマーでは生き字引のようだと言われていたそうです。

億さんが赤十字に入ったきっかけは、既にICRC職員だったご主人がミャンマーに赴任したことでした。億さんはフランスでの留学中に行き詰まりを感じていた頃で、自ら学生ビザでミャンマーに来、ヤンゴン外国語大学に留学しました。

ご主人がICRCで刑務所訪問の仕事をしていると聞き、その時は単純に「面白そうだな」と思っただけだったのですが、なかなか立ち入れない場所だし、すごく意義ややりがいのある仕事じゃないだろうかと、たいへん興味を持ったそうです。

億さんは、当初は、赤十字についてもよく知らなかったものの、1年半後ジュネーブで試験を受け、ICRCの職員になりました。そして、はじめはずっと刑務所を訪問する仕事をしていました。これは特殊な仕事で守秘義務も非常に厳しく、公表できない話もあるそうです。

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【赤十字とは】

まず、億さんは、「赤十字」について詳しく説明されていきました。
スイス人である創立者のヘンリー・アンリ・デュナンに敬意を表して、スイスの国旗の色を反転させたのが赤十字のロゴです。刑務所で刑務官たちに講義をするときも、この図の左側の図は、どこの国の国旗かという質問から始めるそうです。

1859年、デュナンが戦争の有様を目の当たりにし、傷ついた人たちを助けたというのが発端でした。
デュナンは当時の話を日記のようにまとめ、戦争で傷ついた人たちを助けたいと、4年後の1963年に、医師や弁護士などの5人の仲間でグループを作ったのが赤十字の始まりです。そしてその年に基本的な方針をまとめたものができあがりました。

その際、様々な分野の専門家が話し合い、ジュネーブ条約ができました。その時点ではまだ国際「人道法」というものはなかったので、ジュネーブ条約を国際人道法の基礎にしようという考えがあったそうです。

もともとは戦闘員が対象だったのですが、第二次世界大戦には一般市民も巻き込まれたこともあり、1949年に、戦闘員だけではなく捕虜や一般市民の保護などにまで国際人道法が拡大されました。

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【赤十字運動】
上の図の3つをすべてひっくるめて「赤十字運動」と呼んでいます。

「赤十字運動」という言葉について、「運動」よりも「活動」のほうがしっくりくるかもしれませんが、「Red Cross Movement」の「Movement」を「運動」と訳しています。「赤十字ネットワーク」と呼んでいるところもあります。

この「ネットワーク」は、日赤やミャンマー赤十字のように、190カ国ほど、あらゆる国を網羅するように赤十字があることを表しています。

ここまでにネットワークが広がったのは、先述のアンリ・デュナンの赤十字の精神に世界の各国が賛成したからなのです。なお日赤は、1886年に西南戦争で傷ついた兵隊を助ける目的で始まりました。

億さんが所属していたのは国際赤十字社(ICRC)です。図の中の組織はすべて「赤十字」と呼ばれていますが、「国際赤十字連盟」と「赤十字国際委員会」が正式名称ですが、両者はしばしば間違えられるそうです。

この中で赤十字の職員同士が連盟委員会に入ったり、各国の赤十字から出向したりと、色々な人と関わりあって仕事をしているため、その時々メンバー同士で「あなたは『連盟』?『委員会』?どこの国?」とききあうほどです。

実はこの「赤十字運動」というのは、世界の最大の人道支援のネットワークであり、ざっというと1億人が赤十字運動に関わっています。

ただし同じ「赤十字」とはいっても棲み分けがあります。

連盟は洪水や津波、サイクロン、地震など色々ある自然災害への対応が主となります。例えば2008年にミャンマーでおきたサイクロンについては、各赤十字の団体のメンバーが連盟付で出向となり、集まってきます。つまり「連盟」は、日赤の職員も出向していますが、各国の赤十字の人たちが集まってつくるといえます。

一方ICRCのほうはすごく特殊で、人的災害つまり戦争への対応を行います。武力紛争がある紛争地帯に行くのです。

ミャンマーは以前からそれに該当していたのかどうかについて、ヤンゴンなど都市部に住んでいる限りはあまり感じないものの、ラカイン、カチン、シャンといった所では紛争が起こっていました。
マークについては、大まかにいうと、赤十字と、月のマークのようなものと、レッドクリスタルがありますが、これらは形が異なるだけで全く同じものです。

日赤やミャンマーなどは赤十字マークで、赤新月はイスラムの国のものになります。なぜかと言うと、赤十字はもともとスイスの国旗を逆にしただけなのですが、キリスト教を連想するからというのが理由です。はじめにトルコがそれを指摘して、このようになりました。トルコの赤新月社マーク(左上)のように、月の形を左右反転させたものもあります。

レッドクリスタルのマーク(右下)は四角の中にダビデのマークを入れていますが、2008年と割と最近になってできたもので、イスラエルが赤十字運動の中に入れるためにできたのだそうです。アメリカは赤十字への最大の拠出国なのですが、イスラエルが加盟しなかったらもう寄付しないとの意向を受けたという経緯がありました。

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【国際人道法とはなにか】
「国際人道法」とは何かというと、人の道にそれることに関する法です。

「人権」や「人道」という言葉は見聞きする機会も多いかと思うのですが、違いがあります。「人権法」は国連が主導、「国際人道法」は赤十字が主導していて、棲み分けができています。

人道法はアンリ・デュナンが創設した、武力紛争のときに適用される法律です。一方、武力抗争以外のときは人権法が適用されます。

ここで、ICRCが作成した国際人道法を紹介する動画↓を視聴しました。https://www.facebook.com/watch/?extid=SEO----&v=453707508444330

「戦時の決まりごと」のこの動画を見て、これは今のミャンマーの状態じゃないか、現状のミャンマーに適用されるものではないか、と考えさせられるものでした。

億さんは、次のように、話を続けられました。

今のミャンマーでは民間人、それから病院でも人が襲われています。

ミャンマーの赤十字も被害を受けています。ミャンマーは1992年に国際人道法に署名しており、その後1999年からICRCの刑務所訪問が始まっています。それにも関わらず、ICRCが何もしていないのはおかしいとFacebookで炎上しているわけです。

いろいろな解釈の仕方がありますが、ネックになっているのは、国際人道法は、武力紛争時に適用されるという点なのです。

アンリ・デュナンが想定していた「武装勢力対武装勢力」となったときに国際人道法に抵触することになるのです。

今のミャンマーの状態は、シャンやカチンは除いて、どうなのでしょうか。

治安部隊が市民を撃つ一方、市民の方には武力がないので、想定外とされているのです。ですから国際人道法の範囲外になるのです。

そのため赤十字としては動こうにも非常に厳しい立場にいるということです。

もう一つの事情として、世界人権宣言が1948年に採択された後にいろいろな人権法と呼ばれるものが出ています。例えば国際人道法であれば1949年のジュネーブ条約が核となりますし、他にも今年2021年1月に核兵器禁止条約が発効されました。それが国際人道法の中のグループの中の条約あるいは法律になるのです。

この、1948年に採択された人権を保護し基本的人権を尊重する人権宣言については、ミャンマーも加盟国です。しかし、この人権法の中にも色々な人権法が入っており、女性差別撤廃や障害者の権利についての条約にはミャンマーはサインしているのですが、他の結構重要で肝心な、市民を守るというような人権法にはサインしていないのです。これも、今の状況のミャンマーで国際人道法を適用できない理由となっているのです。

(ただ、赤十字運動ということでけが人を助けることはできますので、何もできないことはありません)

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【「中立性」とは】

さらに、赤十字のもう一つの重要な性格、中立性についてと話が進みました。
赤十字というのは、武装勢力と武装勢力の間に立って仲介役を行うという役目を持っているのですが、1996年に在ペルー日本大使公邸占拠事件という人質事件が起こった際、ICRCが中立性を守って仲介役に入ったという話がありました。なおこの事件を題材として『ベル・カント とらわれのマリア』(ポール・ワイツ監督、米国、2018年)というドラマ映画もできましたと、億さんは紹介され、そして、以下のビデオを流されました。

「ペルー大使公邸人質事件から20年」(約3分再生);
https://www.youtube.com/watch?v=5BfPBdahLDQ

この動画の最初のインタビュー(約1分再生)で、当時渦中にいた青木盛久元駐ペルー大使が赤十字の中立性について大変明確に指摘くださっています。この「中立性」というのはミャンマーでも言えることです。国軍や少数民族とも一応対話を試みています。これも任務とはいえ、なかなか難しいということです。

なおこちらの映像は、ICRCミャンマーで総務部長として赴任していたジャンドゥリという方に、「日本人なんだからこれを見ておきなさい」と紹介してもらったそうです。実はジャンドゥリさんはこの人質事件で食糧支援を担当しており、こちらの映像にも姿が出ています。

当時は日本食のレストランを3軒回って味見までして店を1軒決めて、そこから毎日食料を、テロリスト側のほうにも提供していたという話でした。

裏話としては、例えば、コカ・コーラにスポンサーを頼んだものの断られてインカコーラというメーカーに頼んだのですが、その後CNNやBBCが来て報道が加熱してからコカ・コーラが出てきたので、そのときは断ったということです。ピザも、ピザハットは無料で提供してくれたので、無料で看板を出してもらったなどという話を色々聞きました。

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【赤十字と私】

次に、ICRCミャンマーについてのお話と、そこでのお仕事のお話を伺いました。
これはミッチーナでの写真です。空軍が空から見てもわかるように車の上に赤十字のエンブレム、マークが描かれています。シャン州で稼働している車にも全てついています。しかしヤンゴンのものにはその必要がないということで、ついていません。
事務所については、マンダレーの事務所は非常に規模が小さく、ヤンゴンはまあまあ大きいそうです。

活動に力を入れているのはもちろんカチン州、シャン州、それからラカイン州で、今一番大きい事務所となっています。

ライザというところは、2,3年前までは許可が降りましたが、今は行けなくなっています。
軍に最も抑えられている省庁は、内務省と国境省と軍の3つだそうですが、ICRCミャンマーのカウンターパートと言われる所轄の省はまさにその内務省で、その点でもなかなか難しい仕事だったということです。

この部署一覧を示しながら、億さんは、見た瞬間、こういう部門があるのかとちょっと驚かれたのではないでしょうかと問いかけ、これをみると、ほんとうにここは紛争地なのだということがわかると思いますと続けられました。

アンリ・デュナンが創立してから今まで160年たって、ほぼ各国の赤十字にこのような部隊があります。

億さんが所属していた部隊は、市民保護部というところの中の、刑事施設課、離散家族再開事業課だとのことです。

その市民保護部というのは、一番大きい部で、難民キャンプなどにも行ったりします。

刑事施設課は、刑務所や作業所が担当。離散家族再開事業課というのは非常に重要で、例えばロヒンギャ問題で、バングラデッシュ側とミャンマー側と両方に家族がいるというので、手紙を書いたのを送ってあげたり、また、少年兵の親が来て手紙を書いたのを、国軍の方に送るとかいうこともします。そのようなわけで、離散家族を再会させたり、つないだりする部門です。行方不明になった人たちを捜索していくこともありますが、これはなかなか難しいので、実際はそれほどたくさん達成できていないということです。

法医学専門というのはロヒンギャ問題に対応しています。離散家族再会事業部の中に入っていて、遺体と対面するわけなのですが、それも再会することに含まれています。

義手義足部というのが非常に重要で、赤十字がどこの国に行ってもまず義手義足部から始めるそうです。例えば市民保護部は結構デリケートな事案が多く、政府側としてはあまり来てほしくないところですが、義手義足の支援ならやってもらおうかという感触が得られるそうです。義手義足は非常に重要性がアピールできて、結構受け入れられやすい部で、北朝鮮にもあります。

ミャンマーでも、1986年に義手義足部から始まったそうで、刑事施設課はその後1999年にできたぐらいです。億さんたち刑事施設課から刑務所に訪問するときも、義手義足部の人たちと一緒に行ったりもしたそうです。

国軍、警察担当部というのは、ICRCが元イギリス国軍やイギリス警察の人たちを職員として、国軍や警察に国際人道法を普及させるという活動を行なっているところです。

司法部は、各活動や事案が法律に違反しているかなどの分析をしています。

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【仕事の内容】

広報の仕事については、そもそも写真を取っておくような仕事がほとんどないため、仕事をしているときの写真をプロモーション用に求められることがあっても、写真撮影用の仕事をそのために作るなど、色々と工夫をしていたそうです。

実際、13年間刑務所訪問をしていましたが、写真は殆どないそうです。刑務所側で写真を撮っているものはあるのですが、ICRC側が写真をとる理由もなく、撮影が許可されていないようにもなっています。

刑務所訪問はお祭りごとでもありませんし、犠牲者がいたり、囚人がいたりするので、億さんとしては写真をとるべきではないと思うし、撮る気持ちにもならなかったそうです。

刑務所訪問は、1回につき3,4日かかります。刑務所に行って受刑者の生活改善に向けて訪問していたのです。まず刑務所長と面談し、それから所長からの要望、例えば水が足りない、これを直して欲しい、といった話をきき、何ができるかなどを話し合います。そのあと2,3日間は刑務所の作業所に入って自由に動く権利がありました。受刑者と面談を行うときも、刑務官も誰もおらず他に誰も聞いていないような環境でした。

その間10何年、億さんは一人で独房に入ったり、政治犯に会ったりもしましたが、すごく嫌な思いになったり、嫌がらせを受けたりしたことは全くなかったそうです。

13年間の長きに渡って刑務所の関係者と一緒に仕事をしてきて、刑務官と抱き合って泣いてお別れしたこともあるそうです。完璧ではないにしろ、刑務官も非常によくやっていて、改善されてきた感触があるそうです。

ミャンマーの内務省の下に警察、刑務所、刑事施設の刑務官、それから消防があるのですが、刑務官においては結構国際人道法や人権法がちょっと浸透してきたような感触があるそうです。

ただし現在、心配なのがミャンマーの情勢で、いま逮捕されている人たちが刑務所にいるのか、警察の拘置所にいるのかわからないことです。

拘置所には赤十字は1回も入ったことがないので、どういう状態になっているのか不明ですが、刑務所に入れば、他の受刑者もいるので、他の受刑者が彼らを守ってくれる面もありますし、刑務官がそれなりの処遇をしてくれるのではないか。そして、一応人道的な処遇をしてくれるのではないかと信じますと、億さんはおっしゃいました。

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〔ラカイン州ブティダンへのフィールドトリップ〕

続いては、2017年10月ごろ、億さんがフィールドトリップしたときのお話を伺いました。いわゆるラカイン危機が8月25日に始まり、その2ヶ月後になります。

ラカイン危機とは、ロヒンギャ問題で多数の70万人ものバングラデッシュへの避難民を出した出来事です。この間、シットゥエーの事務所のメンバーだけでは対応しきれないということで、全国の赤十字のメンバーがラカインの北部に入りました。体が持たないのでローテーションで順番に現地入りしたのでした。

億さんは10月末から11月の頭まで現地入りし、身元確認調査をしました。居住者のリストをもって、それぞれどんな物資が必要とされているかということをチェックして行きました。

目的地の途中まで車で行ったら、そこから歩きです。メガホンを持ちながら、「怖がらないで、出てきてください、赤十字です」といいながら歩く。そういう仕事を2週間、1日に村を3箇所くらい回ってやっていました。

毎日2時間ぐらい炎天下を熱中症ギリギリ直前になるまでふらふらになって歩きました。全部で13チームあったのですが、それを全体でまる2ヶ月間、各スタッフ2週間やっていました。国境警備隊に頼んで、バイクで送ってもらったこともあり、ほかのICRCの職員に怒られたりもしたそうですが、死ぬよりは良かったのではないでしょうかと、億さんは振り返って話されました。

また、そこでも中立性に気を使い、イスラム教徒の住む村、仏教徒の村、と順番に村に入っていきました。

ところで、「ICRC」としては現地入りが許可されなかったため、国際機関のICRCではなく赤十字運動だとアピールしながら活動していました。ICRCのバッヂをとって、赤十字運動の本来の姿に戻って赤十字マークだけのエプロンをつけました(この回の冒頭写真参照)。ミャンマー赤十字のスタッフと一緒に車に乗って回って、「これはどこの組織でもありません、ピュアな赤十字運動なんですよ」と示すことで許可が出たのでした。


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【ICRCミャンマーのいま、これから】
最後に、Facebookに投稿されていた写真を見ました。今のICRCの事務所の前にお葬式用の花と、手紙が置かれているもので、「赤十字は何をしているんだ」という批判が込められています。

こんなに市民が亡くなっているのにICRCは何もしてくれないのか、1992年に国際人道法にミャンマーはサインしているんじゃないのか、といった内容で、Facebookで炎上していたものだそうです。

正直なところ、非常に難しい立場だそうです。というのは、ミャンマーでのICRCの活動に5年間空白があったとお話のはじめに伺いましたが、このときICRCはミャンマーの国軍つまり国からの信用をなくして活動の基盤の全てを失ってしまったそうです。2007年にサフラン革命がありましたが、その前から状況が悪化していたところ、2007年6月29日、公開告発ということで、ICRCが国際人道法に違反しているというステートメントが発表されてしまいました。それで事務所もほとんど閉めてしまって、130人いた外国人スタッフが一気に10人に減らされました。億さんは最後まで残っていたそうですが、120人が他の国に派遣されました。

それから5年後、2011年3月にテインセイン大統領が就任し、「文民の大統領なのに私達ICRCが活動できないのはおかしいじゃないか」と交渉に入り、2013年1月にやっとカムバックできたというわけでした。

この5年間で、失ったものが非常に大きかったのだそうです。このような経緯があり、現在のICRCの立場も非常に慎重にならざるを得ないわけです。

一方、2021年3月4日にICRCはステートメントを出したのですが、かなりゆるやかなもので、失望した感じもあり、もうちょっと言ってもいいんじゃないかというくらいですが、これが限界だったと想像されます。そうでなければ今後の活動がどうなるかわからず、職員にビザがおりずに帰国を余儀なくされるとなると、それこそいざというときに赤十字運動として、実際に傷ついた人を助けられなくなってしまうからです。

こうしたジレンマが非常に大きく、色々考えさせられたそうです。終わりに、ICRCへの批判と擁護というお話で締めくくられました。

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【質疑応答】
Q:
ICRCで働いている人は全世界で今何人ぐらいいるのでしょうか。
A:
世界では1万8千人と言われています。その国以外の外国人が4000とか3000とかでしたが、今は変わっているかもしれません。ミャンマーでは警備の人も入れて全部で500と言われています。コロナ禍もあって、外国人は100人もいないと思います。
Q:
日本政府がロヒンギャ難民に対する支援のように国際機関を通じて支援するというのがありますが、あの場合はICRCではなく赤十字の連盟のほうですか。
A:
この支援のためのお金は、基本的にはICRC本部や赤十字の連盟 本部に行きます。ちなみにICRCの予算の90% は国からの援助なのです。国連とは違って、このお金はいくらをど こに使うという縛りがないんです。それは赤十字の人道支援のあり 方のひとつで、それはまた国連とは違うところで、公平性とか独立 性とかいう意味があります。

ただ、4年前には、緊急支援ということで日本政府からICRCミ ャンマー出してもらいました。 そういうイレギュラーなものはあります。
Q:
国際人道法が適用されるのは紛争のときと適用時と教えていただいたんですけれども、紛争時という意味の定義というのを教えていただきたいです。つまり、「紛争」というのが戦争というときだけが「紛争」なのか、あるいは今のミャンマーの状態、例えば国の主導権を握っているような人たちから国民たちが武力行使をされているという状態も紛争というのかどうかを教えて下さい。
A:
ここが国際人道法の縛りなんですね。今の状況が想定外なのです。武装勢力対武装勢力ということは、双方とも武器を持っていないとだめなんです。
ただ、4年前には、緊急支援ということで日本政府から出してもらいました。そういうイレギュラーなものはあります。
Q:
そうしたらミャンマー国民が武器を持ち始めてお互い武力行使をやり始めたら適用になるという。
A:
それが、その勢力は組織化しないとだめなんです。たとえば、今それこそKNUやKIOが、支持するとかのステートメントを出していますよね。

起こってほしくないことなんですけど、仮に、武装勢力が対武装勢力という状態になれば、国際人道法が発動するんです。一市民がライフルや何かを持ちます、とかいうのはだめなんです。だからすごく微妙なんです。解釈の仕方も赤十字の中で色々あるんです。今頃ずっと会議しているはずです。
Q:
法律的な用語の中での意味との紛争とは違うという意味なんですね。
A:
そうなんです。Armed conflictアームドコンフリクトというのですね。「アーム」がついていないとだめなんです。
Q:
ICRCと日赤の違いはなんですか。
A:
ICRCと日赤は兄弟関係で、もともとのグループは一応同じです。

ICRCは人的災害、戦争への対応です。日本赤十字というのは献血など、公共衛生の部分。それから自然災害の対応をします。
Q:
赤十字と国連は活動の棲み分けや協働に課題はありますが、現場で難しいと感じる部分はありますか。
A:
棲み分けは色々あります。一応大まかに分かれています。紛争地帯は赤十字、紛争地帯じゃないのは国連という分け方はあって、重ならないようにしていますが、やはり重なるときもあります。お互いにコミュニケーションをしていかないといけません。ここは国連の関わる範囲だろうか、それなら我々は関わらないでおこうかというのはもちろんあります。
Q:
私は昔、政治囚の方に何人か話を伺ったことがあるのですが、ICRCが刑務所訪問を始めてから水浴びをする時間が延びたというように、生活改善が進んだのをとても喜んでいらっしゃったのを(億さんに)お伝えしたかったです。
A:
ありがとうございます!やっぱりそういう話を聞くと本当にうれしくて。訪問した後で、改善できているのかな、できてないのかなと考えることがあります。
Q:
国連と赤十字は協働の活動はないのでしょうか。
A:
全くありません。赤十字が守秘義務ということを非常に重要視しているからです。

たとえば国連が刑務所を訪問する国もあるのですが、そちらは、そのときのレポートも公開されていて、インターネットでも見られます。一方、赤十字はそうしたものは公開しません。こうして、守秘義務についての考え方が全く異なっているように、国連と赤十字は棲み分けていて、ほとんど協働していません。
(記事執筆:鈴木貴子)
<無断転載ご遠慮ください>
アンドモア
≪以下、億栄美さんからのメッセージと提供情報です。≫

発表の後で、複数の方から現在のミャンマー情勢を考える上で非常に重要なメッセージを頂きました。その中でも「交渉における中立性の意義」を考える上で、現在のミャンマー情勢に対する日本政府の立ち位置を考えさせられたと言うものがありました。日本の対ミャンマー外交政策とICRCの人道支援方法の最大の共通点に「説得」があります。ただ、忘れてはいけないのが、スイスは世界唯一の中立国です。中立国ではない日本がどこまでその立場を貫いていけるのか非常に難しい局面に晒されているのではないかと思います。

とにかく、事態が収束するのを祈るばかりです。何はともあれ、援助を必要としている人々へのアクセス確保が最大の優先事項です。得失の計算に捉われすぎて、人民保護という赤十字運動の基本精神を失わないよう、ICRCがうまく任務を遂行できるよう心から祈っています。

以下、参考までにインターネットサイトをご紹介します。


ビデオ紹介

(4月24日付)


≪以下は、「サロン」終了後の「懇談会」で億さんの話された内容を、鈴木貴子さんがまとめられたものです≫

また、ICRCへの求人へ応募についてお話しくださいました。国連へ入るのはさすがにハードルが高いですが、ICRCはそこまでではないと感じられたそうです。

もちろんある程度の英語力というのは必要ですが、億さんもご自身はそんなにペラペラではなく、日本人英語でやってこられたと謙遜されていましたが…。

ICRCというのはいろいろな人がいますが、スイスが発祥ですから、フランス人も多いそうです。いまICRCの日本人は20名ほどと言われていて、それに加えて、日赤からの出向の看護師さんがいるそうです。今は東京にも日本支社がありますし、日本人をもう少し増やそうという動きも出ています。

選考はものすごく簡単というわけでもないですが、国連ほど難しくもないのかというところです。ICRCにいる周りの日本人をみると、元NGOをしていたとかいう人が多く、英語も、帰国子女のようにペラペラじゃなくても大丈夫です。学歴も、修士を取得していなくても大卒でも大丈夫です。NGOなどでの経験があれば、日本人はウケがいいので。入れる確率が高いと思います。

実は、一番大事なのは、運転免許証のミッション(マニュアル)だそうで、そこでけっこう引っかかる人がいるのだそうです。ICRCでは紛争地に行くので、紛争地で四輪駆動車を運転できる能力はすごく必要になってくるのだそうです。だから結構、英語も堪能でキャリアもあるのに、運転スキルが足りないので選考に落ちたという人が結構いらっしゃるそうです。だから例えばお子さんが運転免許を取るという時、ミッションをとったほうがいいですね。うちの息子にもミッションを取らせようかなと思っています。


〇 ICRC(赤十字国際委員会)の人材募集サイト
https://jp.icrc.org/contribution/job/


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