第6回楽平家オンラインサロン
アシン・ゴーティータービワンタ・サヤドー
ဆရာတော် အရှင်ဃောသိတာဘိဝံသ

「穏やかな心で生活する方法(慈愛の教えと慈愛の瞑想)」
ငြိမ်းချမ်းစွာနေတတ်နည်း(မေတ္တာတရားနှင့်မေတ္တာဘာဝနာ)
2021年1月11日(月、休日)午後1時~3時30分
アシン・ゴーティータービワンタ・サヤドーの法話
「穏やかな心で生活する方法(慈愛の教えと慈愛の瞑想)」

2021年1月11日(月)の午後(現地時間では10日の夜)、カリフォルニアにお住いのミャンマー人僧侶、アシン・ゴーティータービワンタ・サヤドーに「穏やかな心で生活する方法(慈愛の教えと慈愛の瞑想)」というタイトルでお話しを伺うことになりました。

きっかけはアメリカ在住のミャンマー人の古い友人が、世界的コロナ禍において、サヤドーによるZOOMメディテーションを毎週末行い、それが6月から途切れることなくずっと続いていることでした。公開されているサヤドーの瞑想指導の様子を見る機会が増えるにつけ、私達にも瞑想を教えていただけないかという思いが起こりました。友人を介してサヤドーにお願いしてみたところ、快く引き受けてくださり、この企画が叶う運びとなりました。

ミャンマー人仏教徒はいずれかの形で瞑想や祈りを日常的に行っています。世界的に広まっているヴィパッサナー瞑想やマインドフルネスもミャンマー仏教の実践に大きな影響を受けています。

今回は、ミャンマーにおいて現在でもテレビなどで高僧のビデオが放映され、以前から人々の間で手紙やメールの別れの表現としても使われる「慈愛(ミッター)を送る」ということを中心に、その教えと実践についてお話しいただくことになりました。

サヤドーからは具体的には、「ミッターとは何か」、「慈愛と通常の愛とはどう違うのか」、「慈愛には何種類あるのか」、「慈愛を送るということと慈愛を内に育むこと、慈愛の瞑想とは同じか」、「慈愛を送る方法にはどのようなものがあるか」、「慈愛を送るとどんな結果がもたらされるのか」、「実際には慈愛の瞑想をどのように練習すればよいか」といったお話が伺えるものと思います。

2021年新年のコロナ禍の冬の時期、ミャンマー人僧侶が語ってくださる、慈愛についてのお話や瞑想法に触れることで、落ち着かない心、かつえた心に少しでも温もりある穏やかさが戻り、その後の日常を見つめなおすなんらかの示唆が得られればと願っています。

原田正美


(追記)「サヤドーの法話と瞑想実践」は、おおよそ2時からです。
その前に、コーディネーターによる、「ミャンマーの瞑想とサヤドーの紹介、現地の状況の説明」などがあります。

【楽平家オンラインサロン 第6回報告】
在米のミャンマー人僧侶が説く慈愛の教え
~ 穏やかで涼やかな心を届ける瞑想 ~
「穏やかな心で生活する方法(慈愛の教えと慈愛の瞑想)」と題する楽平家オンラインサロンが2021年1月11日に開催された。これは、米国カリフォルニア州のカストロバレーにあるミッターナンダウィハーラ寺院の住職を務める傍ら、2020年6月からオンラインを通じて瞑想の機会を提供しているミャンマー人僧侶のアシン・ゴーティータービワンタ・サヤドーとオンラインミーティングツールのZoomで接続し、説法を聞くとともに、「ミッター」と呼ばれる慈愛の瞑想を実践しようと企画されたもの。他に類を見ない希少な機会ということで、ミャンマーの仏教文化や瞑想に関心を寄せる人々が日本各地やアメリカ、ミャンマーから80人近くオンラインで参加した。
人々に根付く「ミッター」の概念
アシン・ゴーティータービワンタ・サヤドーは、1959年生まれ。9歳で仏門に入って沙弥(しゃみ:見習い僧)となり、20歳の時に必要な要件を備えていると認められ具足戒の儀式を受けて227の戒律を守る比丘(びく:成人男性がなる正式な僧)となった。その後、教学(パリヤッティ)と瞑想(パティパッティ)の修行に励み、ミャンマーの教学寺院におけるオックスフォードとも言われるマンダレーのマソーイェンタイティッ僧院をはじめ、各地の僧院や寺院で教学指導を行った。海外での活動にも積極的で、これまでにアメリカのほか、カナダ、ジャマイカ、台湾、タイ、シンガポール、韓国、インドネシア、マレーシアなどで瞑想指導や法話(ダンマトーク)を行った経歴も持つ。2021年1月4日にはミャンマー政府から瞑想指導僧として最高の称号が授与された高僧だ。
(左)ミッターナンダウィハーラ僧院での法話の様子
(右)ミャンマー政府からアシン・ゴーティータービワンタ・サヤドーに授与された最高の称号(瞑想)(Facebookより)
当日は、サヤドーの説法と瞑想の実践に先立ち、自身も仏教文化の研究者であり、今回のオンラインサロンを企画した原田正美さんが、ミャンマーにおける瞑想文化について説明した。
ミャンマーにおける瞑想文化について説明する原田正美さん
ミャンマーの統一王朝が上座部仏教系の伝統を重視するようになったのは11世紀頃だと言われており、現在、国民の約9割が仏教徒である。多くの人々が信奉する「上座部仏教」では、出家して厳しい戒律を守り修行する人が救済を得るとされる。原田さんは、ミャンマー三大仏教聖地の一つであるマンダレーのマハームニパゴダで熱心に祈る人々や、最大都市ヤンゴンの中心部に位置するシュエダゴンパゴダで夜明け前から祈りをささげる人々の写真を見せながら、信仰が生活に根付いている様子を紹介した。
(左)マンダレー、マハームニパゴダで祈る人々(2010年2月、原田さん撮影)
(右)ヤンゴン、シュエダゴンパゴダで祈る人々(2016年1月、原田さん撮影)
そんなミャンマーには、数多くの瞑想センターがある。原田さんは、ヤンゴン郊外のチャウタンにあるサッダンマランティー瞑想センターで瞑想に励む女性たちの姿や、マンダレーの瞑想道場で男性が前列、女性が後列に整然と座り、瞑想を行っている写真を紹介した。
ヤンゴン郊外のチャウタンにあるサッダンマランティー瞑想センターは、ヴィパッサナー瞑想の実践法を確立した一人であるマハースィー・サヤドーの系統を引く施設だ(2019年2月、原田さん撮影、講演資料より)
マンダレーの瞑想道場(2010年3月、原田さん撮影、講演資料より)
原田さんによると、瞑想とはもともと森林の中で仏教生活を営む森林僧と呼ばれる出家者だけが行っていたという。19世紀半ばに当時のビルマ王朝の王都をマンダレーに移したミンドン王が瞑想を仏教の正当な実践だとみなした上、自身も熱心な仏教徒だったウー・ヌ首相が、ビルマ独立後の1954年から1956年にパーリ仏教聖典の経・論・律(三蔵)を世界的規模で校閲する「第六回仏典結集」を開催したり、瞑想センターを各地に設置したりしたことによって瞑想を実践する環境整備が進み、一般の在家や女性にも瞑想の道が開かれたと言われている。
ヴィパッサナーの実践方法を確立したレーディー・サヤドー(左)と、マハースィー・サヤドー(講演資料より)
ミャンマー仏教の瞑想は、「止観」という瞑想の実践法が確立されたことによって世界に普及した。止観はブッダが悟りを開いたとされる最も古典的な瞑想法で、心の動きを静め、集中力を高めていく「止(サマタ)」と、一瞬一瞬に意識を向け自分のありのままの状態に気づくことを繰り返して名色(精神と物質)の無常(常に変化するさま)と苦(恒常性がないさま)、そして無我(我々の内にも外にも所有し実在するものがないさま)を観察するヴィパッサナー(観)から成る。
ヴィパッサナー瞑想の実践法を確立した一人、レーディー・サヤドーの思想と実践法は、サヤ・テッジー、ウー・バキン、あるいはゴエンカ氏やドー・ミャティン、パーアウ・サヤドーなどに受け継がれ、現在は国内に約二十カ所、世界では数百カ所のセンターを展開している。他方、 マハースィー・サヤドーの思想と実践法は、ウー・パンディタ・サヤドー、チャンミェ・サヤドー、シュェウーミン・サヤドーなどに継承され、現在は国内に数百カ所、海外にも15カ所以上のセンターが開設されている。
ヴィパッサナーに入る前に行い、心を落ち着かせるのが、「慈愛(ミッター)の瞑想」だ。原田さんは「ミッターは、ミャンマー人を理解する上で非常に重要な概念で、"スタウン(祈る)"という言葉と共に手紙の末尾にもしばしば使われる」と指摘。さらに、寺院に設置された風車の写真を見せながら「ミッターポ(慈愛を送る)」という言葉を紹介した。
ザガインのタウンピーラ寺院に設置された慈愛を送る風車(原田さん撮影、講演資料より)
コロナ禍で始まったオンライン瞑想
続いて原田さんは、アシン・ゴーティータービワンタ・サヤドーによるオンライン説法と瞑想クラスを運営しているチーシェインさんを紹介した。
オンライン瞑想について説明するチーシェインさん
チーシェインさんは、1988年にミャンマーを出てシンガポールと日本に滞在した後、1995年から米国サンフランシスコに拠点を構え、タクシードライバーとして働いていたが、コロナ禍に見舞われた2020年6月から、週末の夜にZoomを活用してサヤドーの瞑想クラスを開催する取り組みを始めたという。ユニークな試みは話題を呼び、参加者からの希望で8月からは朝のクラスも始めたほか、年末から年始には10日間の集中コースも開催した。
2020年6月から始まったZoomによる瞑想指導(Facebookより)
注目を集めている理由について、チーシェインさんは「10日間のコースでは、参加者自身が座る瞑想と歩く瞑想を1時間ずつ交互に実践できたことが好評だった」「サヤドーが一方的に説法を行うだけでなく、分からないことを質問でき、すぐに答えを返してもらえるため理解を深められる」「瞑想について理論を勉強してから実際に瞑想を行うため、納得がいく」「仏教についてもっと学びたいという年齢にある年配者の参加も多い」と手応えを話す。また、米国でもストレスを抱えている人は多く、そうした悩みや腰痛、病気の軽減にも役立っているという。
「現在はミャンマー人向けに行っているが、精神を整えたいと願う人なら基本的には誰でも歓迎だ。ゆくゆくは日本語や英語や中国語でも伝えられるように体制を整えたい」と抱負を語った。
まず自分自身を穏やかに
まず原田さんが、「ミャンマーと関わって40年になるが、訪れるたびに人々の穏やかな微笑みに癒される。彼らはなぜいつも笑顔でいることができるのか」と尋ねると、サヤドーは「皆、ミッター(慈愛)を知っており、心が穏やかだからだ」と答えられた。
「人々はどこで慈愛について学ぶのか」という質問には、サヤドーが「物心つく頃には、1つしかないお菓子や人形を兄弟で分け合ったり、人に荒々しい言葉を使わず優しく接したりすることを両親から教わる」と指摘。さらに、「夫婦や親子、兄弟の間の愛情と慈愛はどう違うのか」と問われると、「慈愛はその人を思う穏やかで涼やかな感情であるのに対し、愛情は欲望や心配といった熱い感情だ」と述べられた。
アシン・ゴーティータービワンタ・サヤドーの講演の様子
さらにサヤドーは、慈愛には「身業」(行動する)、「口業」(敬愛の気持ちを込めた気遣いある言葉)、「意業」(心で思う)の3種類あると指摘。「困っている人にすぐに手を差し伸べる身業や、励ましの言葉をかける口業は慈愛の実践であり、職場や人間関係の上で重要である」「それによって意業の慈愛が醸成される」と述べ、「"ミッターを送る"という言葉には、"自分の持っている穏やかな心を届ける"という意味がある」と話された。
ミッター(慈愛)には3種類ある(講演資料より)
その一方で、仏教における自分と他者への境地(梵天住)については、「同等の立場への人のためになることを願う"慈"、困難を抱える人を憐む"悲"、良い状況にある人を喜ぶ"喜"、業を思い悪人を許す"捨"の4つが最も崇高な心の状態だとされており、"慈愛"はこの中の"慈"に相当する」と話された。
4つの崇高な境地(講演資料より)
また、原田さんが「慈愛を送ることと瞑想と同じか」「慈愛の瞑想は何種類のやり方があるか」と尋ねると、サヤドーは「慈愛を送ることは、経典に記された40のうちの瞑想の一つで、サマタに含まれる」「ミッタートゥ(慈経)、カンダ―トウッ(蘊経)、パティサンビーダメッガパーリ(無礙解道)、ヴィスデマッガ(清浄道論)の4つの経典に記された方法がある」と指摘。「今日の瞑想は、ヴィスディマッガに記載されている方法で行う」と述べられた。
慈愛を送るには4つの経典に記載された方法がある(講演資料より)
慈愛を送ってはいけない場合(講演資料より)
その上でサヤドーは、「慈愛はまず自分自身に送り、その対象を徐々に広げて、最終的にはすべての「生きとし生けるもの」に思いをはせると説明。その際、「憎んでいる人や自分に苦しみを与える敵、憎んでも愛してもいない人、そして愛する人には心配などの感情が生じ、慈愛の気持ちを持つことが難しいため、最初に慈愛を送ろうとしてはならない」「亡くなった人や特定の異性にも個別に慈愛を送ってはいけない」と呼びかけられた。
瞑想する時は、①から⑯まで順に対象を広げながらミッター(慈愛)を送る(講演資料より)
その後、サヤドーの誘導に従い、参加者全員で瞑想を試みた。まず、サヤドーが資料6の通り、①の「自分自身」に対して「フナロンセイワンエーチャンジャーバーゼー(健康で幸福でありますように)」と唱えられ、参加者もそれぞれ心の中で復唱しつつ、自分に対して慈愛を送った。次に、サヤドーが②の「ともに修行する人・尊敬する人」に対して同じように慈愛を送ると、皆も続いた。
さらに、サヤドーに導かれながら、③の「師匠」、④の「両親」、⑤の「親戚」、⑥の「友人・知人」、⑦の「愛しも憎んでもいない人」、⑧の「憎んでいる人」、⑨の「敵」、⑩の「家にいる生きとし生けるもの」、⑪の「僧院や学校・会社の中にいる生きとし生けるもの」、⑫の「住んでいる地区内の生きとし生けるもの」、⑬の「市内の生きとし生けるもの」、⑭の「国中の生きとし生けるもの」、⑮の「地球上の生きとし生けるもの」、そして⑯の「宇宙に存在する生きとし生けるもの」へと対象を順に拡大していき、「すべての災い、怒り、苦しみが静まり、健康で幸福でありますように」と、皆で慈愛を送った。
慈愛を送ると得られる効果(講演資料より)
その上でサヤドーは、「慈愛を送る瞑想を実践すれば、悪い夢にうなされることなく熟睡し、すっきり目覚めることができる上、あらゆる存在から愛され、死ぬ時も後悔に苦しんだり混乱したりすることがない」等の効能を述べ、慈愛の瞑想からヴィパッサナー瞑想への移行の仕方についても言及された。
痛みや苦しみが軽減
実際に瞑想を体験した参加者からは、さまざまな質問が寄せられた。
まず、「亡くなった人にミッター(慈愛)を送ってはならないのはなぜか」「特定の異性に送ってはいけないのはなぜか」という質問に対しては、サヤドーは、「人は亡くなった後、別の存在に生まれ変わるが、われわれは生前の姿しか思い浮かべられないため、ミッターが届かない。対象を宇宙全体や地球全体に広げた中には亡くなった人も含まれる」「異性に対しては、恋愛など別の感情が生まれるため難しい」と回答された。
また、「なぜ自己から始めるのか」と問われると、「自らの中に慈愛の気持ちが生まれなければ、他者に送ることができない」「自分の中の怒りを鎮めたいと願うのと同様、他者の怒りも鎮めたいと願う気持ちが生じたら、自分の中に慈愛の気持ちが生まれていると思ってよい」と説明された。
一方、慈愛を送る瞑想とヴィパッサナーの関係については、「慈愛の瞑想は、まず自らの心に集中し、穏やかにした上で、順番に対象を広げていく。サマタで慈愛を送り、集中力を養ったうえでヴィパッサナーに移行し、あるがままを観て、最終的に無常、苦、無我という三つの相を見出す」「涅槃に行くためには、慈悲を送るだけでなくヴィパッサナーに移らなければならない」と話された。
さらに、「例えば闘病中の人は、科学の力で慈愛(ミッター)を送ることは可能か」と問われると、「科学的には治療できないと言われた人が、ミッターで痛みが軽くなったという話がある」「慈愛によって心を穏やかにし、痛みや苦しみが軽減される」と説明。その一方で、「SNS上での"いいね!"は慈愛の一環か」という質問には、「そうとは限らない」との見解を示された。
最後に参加者全員に対してサヤドーによるパーリ語の慈愛の読経が行われて会は終了した。
(記事執筆:玉懸 光枝)
<無断転載ご遠慮ください>

次回からの「楽平家オンラインサロン」
次回2月の「楽平家オンラインサロン」は、現在のミャンマーでの動きを重く受け止め、休止させていただきます。

3月は、10日(水)午後8時から9時30分まで、合わせて14年間ミャンマーで赤十字活動に従事された億栄美さんが 、赤十字活動の人道支援や中立性について、わかりやすくお話しされます。

4月は、14日(水)午後8時から9時30分まで、ミャンマーの古典音楽を研究されている丸山洋司さんによる、「水彩画にみる19世紀ビルマの楽器」です。

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