1.自己紹介
1945年生まれ。8歳の時に失明。県立岡山盲学校から東京教育大学(現筑波大学)盲学校教員養成課程を経て、1968年4月から岡山盲学校の理療科(あん摩マッサージ指圧、鍼、灸の職業課程)教員を定年まで勤める。(プロフィール参照)退職後海外の視覚障害者支援活動を始める。
2. 現在のミャンマーでのヒカリカナタ基金の活動(4分間の映像)
3. 私の生立ち
① 一般小学校での思い出(いじめられたが,すばらしい先生に巡り会えた)
② 盲学校での思い出(よくわかる授業,進路への不満)
③ 高校生のころに思ったこと(人並みの幸せがほしかった,仕事への情熱がほしかった,白杖を持つ勇気)
④ 教師としての生き方を教えてくれた純粋な生徒たち
⑤ 日常生活で受けた障害者への差別(就職・結婚・借家・保険など)
⑥ 障害を持った長男と暮らした7年の日々
⑦ 父への感謝と,今父親として思うこと
4. 大草原に蒔いた種
① 視覚障害者の自立を助ける学校をモンゴルとキルギスに創る。
② 途上国の目の不自由な子供たちに治療費を送るための「ヒカリカナタ基金」を創る。
5. ヒカリカナタ基金の国内での活動(点字ブロックの啓発)
6. 活動資金の集め方
7. 私の訴えたいこと
① 障害者を苦しめているのは,障害そのものより人間の社会である。
② 人に感謝するとともに、感謝される喜びもたくさん経験しましょう。
③ 人を大切にする優しい心を育ててください。
④ 健康な体に感謝して,それを生かした意義ある人生を送ってください。
竹内昌彦 略歴
現在
著書
(谷口真吾)
日本ミャンマー医療人育成支援協会の岡田茂理事長のご手配により、ミャンマーに行き、子供たちの眼科手術を行いました。 現地では日本円で3万円から5万円の手術費用を支払うことが出来ず、眼病を患ったまま失明してしまう子供たちが大勢います。 私達は、日本で手術費用の為の募金を集め、途上国の眼科病院で現地のドクターに手術をお願いしています。
貼付の写真は2018年に手術を行った子供たちとご両親が、1年後にお礼を兼ねてわざわざ病院にきていただき、一緒に撮った集合写真です。目が見えるようになった子供たちは、「医者になりたい」「画家になりたい」「学校の先生になりたい」等1年前では考えられない将来の夢を語ってくれました。
もう一枚の写真は、現地のタン先生が執刀している白内障手術の写真です。