第45回
『楽平家オンラインサロン』

ミャンマー国立リハビリテーション病院について

2024年8月21日(水)
20:00〜

写真説明:脳性麻痺児の歩行練習をする 理学療法士
撮影者:菅原洋子
撮影年月:2016年6月
撮影場所:ヤンゴンのミャンマー国立リハビリテーション病院小児訓練室

≪無断転載ご遠慮ください≫

話の内容とプロフィール


《発表者プロフィール》


菅原真理(洋子)

発表者は1972年に作業療法士の国家試験に合格し、それからおよそ50年間作業療法に関わってきました。卒業後すぐに長野県の鹿教湯温泉病院に勤務し、その後東京都心身障碍者福祉センター、国立東京病院、国立村山病院にて主に重度心身障碍児や、脳卒中、脊髄損傷などの患者さんの作業療法に従事しました。東京病院時代は国立リハビリテーション学院で教員も兼ねておりました。

1996年より国際医療福祉大学に入職し、定年までおりました。在職中2005年にJICAによる「中国リハビリテーション教育者養成プロジェクト」の一員として北京に半年滞在し、身体障害作業療法について指導しました。

退職後JICAシニアボランティアとして2年間ミャンマーのヤンゴン市にある国立リハビリテーション病院にて活動してきました。帰国後非常勤講師として福岡国際医療福祉大学にて教鞭をとり、昨年引退しました。現在は月1回身体障碍者療護施設にて作業療法を実施しています。


《発表内容》


6月に梅崎利通さんより「ミャンマーリハビリ事情」の発表がありました。私は梅崎さんより少し早くヤンゴンに赴任し、国立リハビリテーション病院にて活動してきました。ミャンマーのリハビリ事情について梅崎さんとは違う体験をしてきましたので、その経験をお伝えしたいと思い、お時間をいただくことになりました。主に国立リハビリテーション病院の実情とリハビリ医師やPT(理学療法士)の働きをお伝えします。

国立リハビリテーション病院は1959年に社会福祉省の管轄で、障碍者病院として設立されました。その後保健省に移管になり1993年にリハビリテーション病院と改名しています。長年ミャンマーのリハビリテーション医療を担う立場にあり切断患者の治療にあたってきました。2008年より5年間JICA「リハビリテーション強化プロジェクト」の支援を受けて脳血管疾患、脊髄損傷、脳性麻痺のリハビリテーションについても実践できるようになっています。

発表では国立リハビリテーション病院の役割、施設設備、職員の働き方、他国からの支援、社会リハビリテーションとのかかわりやPT協会の活動などについてお話ししたいと思っています。

【楽平家オンラインサロン 第45回報告】

2024年8月21日 第43回の梅崎利通さんに引き続き、「ミャンマーのリハビリ事情」について、作業療法士の菅原洋子(真理)先生が主に国立リハビリテーション病院について話されました。

梅崎さんや菅原さんは活動当時、経験年数が半世紀近くに及ぶ、ベテランの作業療法士(以下:OT)であり、私は現地で何度もお会いしましたが、本当に熱心に患者さんの治療やスタッフの指導をされていたことを記憶しております。ミャンマーにおけるリハビリテーション(資格としては理学療法士:以下PT)の歴史や医療従事者人数などについて詳細については、第43回オンラインサロンの「報告」記事を参照いただければと思います。ミャンマーではリハビリに関する資格はPTのみでありOTや言語聴覚士の資格は存在しません。

1. ミャンマー国立リハビリテーション病院

ここではまず菅原さんの活動していた国立リハビリテーション病院の歴史と日本との関係について触れておられます。 特にJICAは、2008年から5年間の長期のリハビリテーション強化プロジェクト(PT)による介入に始まり、短期、長期のシニアボランティア(ともにOT)の派遣を行っています。

菅原さんも言っておられましたが、元々切断患者の割合が多い病院であり(当時で入院患者の6割から7割)、強化プロジェクト時に整えられた断端管理法や評価を現地スタッフが実践していました。 また切断患者中心に、その時入院している患者の中でリーダーを募り、集団体操が行われていました。集団体操は、脊損や脳血管疾患の患者さんも週に一回行っているとのことでした。菅原さんが活動されていた当時に、義肢装具の工房と適合などを行う専用の新しい義肢装具棟が建設されていました。 

 職員の理学療法士は運動療法室、作業療法室、小児訓練室、物理療法室に分かれて業務を行っており、私が初めて国立リハビリテーション病院を訪れたのは2014年、短期ボランティアが入る少し前でしたが、小児訓練室に行ったのが最初でした。 当時、私の対応をしてくれたPTの方は、現在、日本で作業療法士の資格を取得し働いています。

また、医療相談室もあり、経済的な相談や、退院患者の社会復帰の援助なども行っているということでした。入院病棟は 男女分かれた病室があり、やはり家族がともに入院することが多いとのことです。 病棟では菅原さんの前任の短期ボランティアから菅原さんの活動時期に継続して、脊損患者などの褥瘡対策を行っており、褥瘡発生の減少、他院で発生した褥瘡の改善を達成しておられました。

国立リハビリテーション病院の当時の対象患者や下肢切断理由、脳血管疾患のリハビリ開始時期など示されました。以下のスライドを参照ください。 脳血管疾患患者の発症年齢が早く、予防の概念が広がっていない事、また早期リハビリの体制が整っておらず、リハビリ開始時期が遅い(発症後平均6.5か月)、障害が固定された状態からのリハビリ開始が多いとのことで、そもそもリハビリを受けておられる方自体が少ないとのことでした。

2. CBR(地域リハビリテーション)

ミャンマーではWHO(世界保健機構)の指導により、地方のリハビリテーション医療スタッフのいない地域に対し、定期的に、リハビリテーション医と理学療法士による、保健医療スタッフ・地域ボランティアへの指導と患者の診療を行います。事前に診療希望者を募り、皆さん熱心に指導を聞いてくださるとのことで、ときに患者宅に訪問指導することもあるとのことでした。

3. 車いす支援のNPO

以下に、講演で紹介された車いす支援を行うNPO2つを示します。

障碍者、障碍児にとって、自分の身体、障碍に合う車いすがあることはとても重要であり、そのことで、例えば将来の姿勢やうまく食べられるか、そもそも家族と過ごせる場に出てこられるかなど、大きく変わってくるとのことでした。そのため車いす適合は重要となりますが、基本的に手に入る車いすは定型の普通型のみであり、自分に合った車いすを手に入れる機会はミャンマー国内でほとんどないとのことです。

4. 菅原さん自身の活動

次に、発表者である菅原さんの活動の一部を取り上げて示されました。特に手などの装具であるスプリント作成の指導は、PTしかいないミャンマーではとても貴重な体験であったと考えます。実際に菅原さんは、作業療法室や小児訓練室で患者治療やその指導を直接行い、小児の評価などの整理もしておられました。

5. 理学療法士学会

ミャンマーの理学療法士協会では定期的に学会や研修会を開いています。スライドは世界理学療法の日に合わせてシンガポールから講師を招いて研修会を行った時のものとのことです。元々、ミャンマーのPTさんは優秀な方が多く、熱心な方は学会活動や勉強会にも積極的に参加しておられます。また国立リハビリテーション病院やヤンゴン総合病院でも職員が持ち回りで講師をしたり、ときに外部から講師を招いて、定期的に勉強会を開催しておられました。菅原さんは、講習会などに参加したPTたちが、せっかく学んだものをうまく臨床に活かせてない印象をもっているとのでした。

6. 僧院でのボランティア

ミャンマーは国民のほとんどが仏教徒の国です。仏教、お寺の役割は大きく、身寄りのないお年寄りや子供の世話を行うなどの福祉的な役割も担っています。ミャンマーのPT、その他の医療従事者も仏教徒が多く、講演で紹介されたような僧院でのボランティアや、第43回オンラインサロンの梅崎さんが参加されていたようなサテライトクリニックなど、仏教関係者によるボランティア活動に参加している方がたくさんおられます。菅原さんが参加されたときには、患者の個別の評価をして、家族やお世話をする方に説明をする、集団体操をするなどが活動内容だったとのことです。

7. AAR(難民を助ける会)

AAR難民を助ける会は、日本を代表する国際NGOの一つです。東北や今年の能登半島地震など国内での災害支援においても活躍されています。ミャンマーの国立リハビリテーション病院のすぐ近くにAARの事務所、職業訓練センターがあり、国立リハビリテーション病院から患者を紹介することもあるとのことです。菅原さんも見学に行かれたとのことですが、私も何度か訪れています。スライドにあるように洋裁、理容・美容、パソコンの技術の指導、練習から就職の斡旋まで行っておられます。私が訪れた時には、障碍者が住んでおられる、ある地域の方たちのトラブルの解決のための場を設けて、当事者同士の話し合いが行なわれていました。現地職員がコーディネートをして住民中心に行われていたので、細かいことは分かりませんでしたが、地域に入り込み地域に根付いている印象です。障碍者が自立していくための施設はミャンマーには少なく、就職まで紹介してくれるこの施設は貴重です。講演では、いずれ管理・運営を現地職員に移行する方向で考えておられるとのことでした。

8. ミャンマーの障碍者団体

ミャンマーの障碍者団体についても紹介されました。

9. ミャンマーのリハビリテーション医療と今後の課題

スライドに示している通り、菅原さんが活動していた当時の状況として、病院の数、医療従事者の数が少なく、特に地方ではリハビリを受ける機会はなかなか得られない事、疾患予防の概念や、発症早期からのリハビリの重要性の認識が広がっておらず、今後の課題となります。 それらの改善を考えてかないといけないときに起こったクーデターにより、現状はもっと悪いと考えます。政治的混乱により経済的に困窮している人も増えており、また不服従運動により多くの医療従事者が職場を離れている状況もあります。無料だった国立病院の医療費が「有料化したらしい」との情報も菅原さんより報告されました。2023年世界理学療法連盟に報告された、ミャンマー理学療法士協会会員数はわずか510名です。 国内が混乱しており、実際に病院等で働いている数をそのまま反映しているとは思えませんが、他の医療従事者の状態も同じようなものだと推測します。早急に国内状況が改善し、多くの国民が普通に医療(だけではなく教育なども)を受けられる状況が戻ってくることを願って、今回の報告をしめたいと思います。

(記事執筆:田中謙次)
<無断転載ご遠慮ください>

Laphetye
Made on
Tilda