写真家・井上隆雄(1940-2016)は、1973年に写真家として独立し、ラダックやビルマを来訪し、仏教壁画や現地の様子を多数撮影して記録しました。京都芸大芸術資源研究センターでは、逝去後に残されたポジフィルムをはじめ数多くの関連資料のアーカイブに取り組んでおります。本発表では、井上隆雄さんの紹介、写真資料のアーカイブ活動・デジタルデータベースの紹介、芸術資源の活用として写真からの仏教壁画表現の再現について紹介します。
1940年に滋賀県大津市に生まれ、1965年に京都市立芸術大学(当時は京都市立美術大学)の工芸科を卒業、1973年より写真家として独立した。2016年7月21日 76歳で亡くなるまで、精力的に撮影取材、出版、執筆など精力的に発表した。
卒業後、早川電機(現シャープ)に就職し、いわゆる企業戦士として充実した日々を送るが、その無理が重なり結核を患い、一年以上の入院・療養生活を送る。この闘病が転機となり、1973年に写真家として独立、メラネシア、ラダック、ビルマ、モンゴルと海外へと撮影取材を重ねる。1978年(38歳)で、「バガンの仏教壁画」「チベット密教壁画」を立て続けに出版し、大きな反響を得る。40歳ごろから、茶道、日本の寺社、日本の風景等を対象にした撮影が活動の軸になる。哲学者 梅原猛の著書「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」の写真を担当、その後も京都を題材とした「京都発見」「壬生狂言」など二人の協働は続く。さらに、親鸞聖人の足跡を三度辿った取材による「おのずから しからしむ」「光のくにへ」の出版と展示、日本の自然や風景の撮影を自らのライフワークとし、「すすき」「群青海」等の写真集出版を多数行った。自然の中で忘我の境地を得る「自然法爾」を実践し、「自然(じねん)」という思想に至る。71歳、大病を患い、車椅子生活となりフィールドワークが難しくなるが、下鴨神社 糺の森の撮影を続け「光と游ぶ」を刊行、最後の写真集となった。
自ら企画撮影し、展示、出版を精力的に行い、新聞等への寄稿も多数ある。写真の企画展示として「土に咲く 障害者施設から 美のメッセージ」、個展「禅-Meditation」(Cast Iron Gallery New York)など、招待展示として「京都美術文化賞受賞作家展」「梅原猛と33人のアーティスト展」他多数。
受賞は1984年「京都市芸術新人賞」、2000年に「日本写真学会賞(東陽賞)」、2004年に「京都市文化功労者表彰」、2011年「滋賀県文化賞」他多数。
井上隆雄のアトリエには膨大な数のポジ・ネガ・プリント・機材・作品、そして多数の出版物や蔵書が残されました。 これらの写真資料は、出版物ごと、クライアントごと、季節や地域ごと等、井上隆雄とアシスタントによって丁寧に箱やファイルに選り分けられていました。 撮影対象は、仏教美術、アジア諸民族の文化、国内外の自然の風景、京都の文化、他の美術作家の作品や展覧会の記録、様々な分野にわたっています。
井上隆雄写真資料の紹介
主なカテゴリー紹介
◆井上隆雄のビルマ(ミャンマー)で撮影の写真は、いずれも大野徹の解説による、以下の書籍に収められています。
◆国立民族学博物館の「写真家・井上隆雄の視座を継ぐ ー仏教壁画デジタルライブラリと芸術実践ー」のシンポジウムにおいて、ビルマならびにインド・ラダックでの活動が紹介されました。
写真家・井上隆雄の視座を継ぐ ー仏教壁画デジタルライブラリと芸術実践ー | 京都市立芸術大学 (kcua.ac.jp)
正垣雅子
京都市立芸術大学/大学院 日本画専攻 准教授
京都市立芸術大学/大学院日本画専攻修了、同大学博士課程保存修復専攻満期退学。日本および東洋絵画の模写を通じて、表現研究を行っています。アジアの絵画表現や技法は、日本に継承されている表現技法との共通す流転が数多くあります。私は、シルクロードの石窟寺院やチベット仏教文化圏の寺院壁画調査に基づき、絵画表現を解釈し、再現する模写を専門にしています。模写は、作画の追体験と表現の再現を試みる面白さがあります。
2018年から、本学卒業生である井上隆雄さんの写真資料のアーカイブに関わることになり、デジタルライブラリの構築と芸術資料としての活用を試行しています。