第38回
『楽平家オンラインサロン』
「写真が伝える仏教壁画」
井上隆雄写真資料に基づいた
アーカイブの実践研究
2023年10月11日(水)
20:00〜
バガン遺跡 ウェチーイン・クービャウチー寺院で取材する井上隆雄
「井上隆雄写真デジタルライブラリ(20462)」
転載ご遠慮ください。

話の内容とプロフィール


《内容》


写真家・井上隆雄(1940-2016)は、1973年に写真家として独立し、ラダックやビルマを来訪し、仏教壁画や現地の様子を多数撮影して記録しました。京都芸大芸術資源研究センターでは、逝去後に残されたポジフィルムをはじめ数多くの関連資料のアーカイブに取り組んでおります。本発表では、井上隆雄さんの紹介、写真資料のアーカイブ活動・デジタルデータベースの紹介、芸術資源の活用として写真からの仏教壁画表現の再現について紹介します。


■写真家・井上隆雄について

1940年に滋賀県大津市に生まれ、1965年に京都市立芸術大学(当時は京都市立美術大学)の工芸科を卒業、1973年より写真家として独立した。2016年7月21日 76歳で亡くなるまで、精力的に撮影取材、出版、執筆など精力的に発表した。


卒業後、早川電機(現シャープ)に就職し、いわゆる企業戦士として充実した日々を送るが、その無理が重なり結核を患い、一年以上の入院・療養生活を送る。この闘病が転機となり、1973年に写真家として独立、メラネシア、ラダック、ビルマ、モンゴルと海外へと撮影取材を重ねる。1978年(38歳)で、「バガンの仏教壁画」「チベット密教壁画」を立て続けに出版し、大きな反響を得る。40歳ごろから、茶道、日本の寺社、日本の風景等を対象にした撮影が活動の軸になる。哲学者 梅原猛の著書「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」の写真を担当、その後も京都を題材とした「京都発見」「壬生狂言」など二人の協働は続く。さらに、親鸞聖人の足跡を三度辿った取材による「おのずから しからしむ」「光のくにへ」の出版と展示、日本の自然や風景の撮影を自らのライフワークとし、「すすき」「群青海」等の写真集出版を多数行った。自然の中で忘我の境地を得る「自然法爾」を実践し、「自然(じねん)」という思想に至る。71歳、大病を患い、車椅子生活となりフィールドワークが難しくなるが、下鴨神社 糺の森の撮影を続け「光と游ぶ」を刊行、最後の写真集となった。


自ら企画撮影し、展示、出版を精力的に行い、新聞等への寄稿も多数ある。写真の企画展示として「土に咲く 障害者施設から 美のメッセージ」、個展「禅-Meditation」(Cast Iron Gallery New York)など、招待展示として「京都美術文化賞受賞作家展」「梅原猛と33人のアーティスト展」他多数。


受賞は1984年「京都市芸術新人賞」、2000年に「日本写真学会賞(東陽賞)」、2004年に「京都市文化功労者表彰」、2011年「滋賀県文化賞」他多数。


井上隆雄写真資料について

井上隆雄のアトリエには膨大な数のポジ・ネガ・プリント・機材・作品、そして多数の出版物や蔵書が残されました。 これらの写真資料は、出版物ごと、クライアントごと、季節や地域ごと等、井上隆雄とアシスタントによって丁寧に箱やファイルに選り分けられていました。 撮影対象は、仏教美術、アジア諸民族の文化、国内外の自然の風景、京都の文化、他の美術作家の作品や展覧会の記録、様々な分野にわたっています。


井上隆雄写真資料の紹介

  • 井上隆雄写真作品 367点
  • 井上隆雄所蔵作品 61点
  • 写真資料収納箱 490点(写真用収納BOXやダンボールの点数。一箱のフィルム収納枚数は未確認)
  • 資料類 15点(収納BOX、ダンボール含む 主に取材ノート、メモ等の封書)
  • 蔵書 501点

主なカテゴリー紹介

  • 仏教美術・アジア諸民族の生活
    国内の寺社の建築、仏像または祭事に関する記録。海外ではインド壁画、ラダック、モンゴル、ビルマなどの寺院、壁画、遺跡の様子、またそこでの人々の生活の様子などの記録があります。
  • 国内の風景
    出版物『みちのく風土記』(1984年)、『美しき無常 すすきの気色』(2012年)があるように、井上氏は自然の草木を中心に様々な地域を訪れて撮影しています。月ごとに分類した箱の中に膨大な数の風景写真のポジが保管されています。
  • 海外の風景・文化
    ギリシャやトルコなどにも取材に行き、アテネやポセイドン、トロイやディディマなど、古代遺跡や彫像、街並みなどを撮影しています。
  • 京都の文化
    梅原猛『京都発見』シリーズや茶道を伝える雑誌『淡交』の撮影を担っていたということもありますが、茶道や祭礼、下鴨神社や葵祭、深泥池や寺社など、京都の様々な景色や文化に関わる写真があります。
  • 美術関連
    井上隆雄さんは今熊野時代の京都市立芸術大学の様子を記録しています。(写真集『描き歌い伝えて』(1980年))その他にも、知人の個展や記録冊子、図版製作のために様々な作家を撮影した写真資料が残っています。
    1970年に開催された「第10回日本国際美術展(通称、東京ビエンナーレ)-人間と物質」の京都市美術館会場を撮影したネガフィルムも確認できました。地下の彫塑室を梱包したクリストの展示風景やクラウス・リンケが京都市美術館のエントランスでのパフォーマンスを行っている様子を確認することができます。

◆井上隆雄のビルマ(ミャンマー)で撮影の写真は、いずれも大野徹の解説による、以下の書籍に収められています。

  • 大野徹・井上隆雄『パガンの仏教壁画』 講談社、1978年
  • 大野徹編著『ビルマの仏塔』 講談社、1980年

◆国立民族学博物館の「写真家・井上隆雄の視座を継ぐ ー仏教壁画デジタルライブラリと芸術実践ー」のシンポジウムにおいて、ビルマならびにインド・ラダックでの活動が紹介されました。
写真家・井上隆雄の視座を継ぐ ー仏教壁画デジタルライブラリと芸術実践ー | 京都市立芸術大学 (kcua.ac.jp)


《プロフィール》


正垣雅子

京都市立芸術大学/大学院 日本画専攻 准教授


京都市立芸術大学/大学院日本画専攻修了、同大学博士課程保存修復専攻満期退学。日本および東洋絵画の模写を通じて、表現研究を行っています。アジアの絵画表現や技法は、日本に継承されている表現技法との共通す流転が数多くあります。私は、シルクロードの石窟寺院やチベット仏教文化圏の寺院壁画調査に基づき、絵画表現を解釈し、再現する模写を専門にしています。模写は、作画の追体験と表現の再現を試みる面白さがあります。


2018年から、本学卒業生である井上隆雄さんの写真資料のアーカイブに関わることになり、デジタルライブラリの構築と芸術資料としての活用を試行しています。

【楽平家オンラインサロン 第38回報告】

2023年10月11日に「楽平家オンラインサロン」が開催され、京都市立芸術大学准教授で日本画家の正垣雅子さんが「写真が伝える仏教壁画 井上隆雄写真資料に基づいたアーカイブの実践研究」というタイトルで話されました。

井上さんと言えば、大野徹先生と出版された『パガンの仏教壁画』と『ビルマの仏塔』(1980年、講談社)が有名ですが、チベットの仏教壁画を含めて実に8000枚以上の写真(スライド)を残されています。当時はデジタルカメラがなかった時代で、データーベース化などはされていません。劣化が進む仏教壁画を鮮明に捉えてある井上さんの写真は非常に貴重な財産で保存が急務でした。正垣さんはまさにその写真を後世に残そうとデジタル化されているのです。実は井上さんと正垣さんは京都市立芸術大学の先輩後輩にあたりますが、面識はなく、お二人を繋いだのは仏教壁画です。お二人とも仏教壁画に芸術的価値を見出し、正垣さんは模写作品に、井上さんは写真に収められています。

当日のオンラインサロンでは約80名の人が参加し、井上さんの写真を後世に残すという素晴らしいプロジェクトの話を聞くことができました。参加者全員が井上さんの写真が廃棄されずに、残されて良かったとほっとしていたと思います。このプロジェクトが井上さんへの最大の供養なのではないでしょうか。それにもまして、数日前は大野徹先生の二回忌とあり、本日のオンラインサロンでは井上さん、大野先生のお二人に思いを馳せる特別な日となりました。


正垣さんは冒頭「井上さんという写真家のご紹介と芸術実践という形で写真をどのように活かして享受しているかについてお話します」と始められました。

※本文中の画像は、いずれも正垣さんの画面共有資料より転載
(パワーポイントのスライド66枚のうちの一部のみ掲載させていただきました)


正垣雅子さんの自己紹介

正垣さんは日本画を専攻し3回生ごろから古典に興味を持ち、中央アジア、東南アジア仏教壁画の模写するようになったということでした。チベットのラダック に行くようになって、書籍を通して、井上さんは知っていたが、会ったことがなく、井上さんの写真のアーカイブ活動を通して井上さんを知っていくということでした。

井上隆雄さんの紹介

それから、井上さんのご紹介をされました。もともと大学では漆専攻(当時は工芸科塗装専攻、現在は、漆工専攻)で、3回生からカメラを始められました。卒業後はシャープに入社。29歳に大病をし、1年余りの療養生活を送りました。コマーシャルという仕事は消えてなくなってしまうものなので、写真という残る仕事をしていきたいと考え、33歳に退職し写真家として独立。退職金でパプア、ソロモンなど3ヶ月の旅に出られます。その後、1978年、38歳の時にまだ知られていなかったラダック、パガンの仏教壁画の本を出版され、一躍有名になられました。井上さんは40歳までは海外の写真が多いのですが、40歳以降は梅原猛さん、東本願寺、裏千家からのお仕事をなさることが多かったようです。今回は40歳以前のお話になります。

パガン仏教壁画出版

大野先生と井上さんはNHKのEテレ『日曜美術館』の「アジア仏教遺跡の旅」という番組に一緒に出演されました。そこで、大野先生は子供の頃に読んだビルマ案内で読んだ不思議な名前の寺の記憶があり、ビルマ滞在中にパガン遺跡に魅せられたとおっしゃっています。正垣さんは大野先生に手紙を出し、井上さんとのことを聞かれました。以下は手紙でのやりとりです。

大野先生が書いた冊子【注】を井上さんが目にし、添付されていた写真を見て、すごいものが写っている、もっと詳しく知りたいと突然大野先生に電話をされました。家に招かれ、井上さんがビルマで仏教壁画を撮りたいとお話し、大野先生が協力することとなったそうです。

【注;正垣さんによれば、この冊子名は、おそらく「ビルマの壁画ーバガン時代を中心としてー」(『京都大学東南アジア研究』11巻3号 1973年)と「ビルマの壁画(Ⅱ)ーバガン時代を中心としてー」(『東南アジア研究』12巻1号 1974年)のことを示すと思います、とのことです。

当時のビルマの取材は軍政権下、外国人の活動は制約され、ビザは一週間しか認められなかったので、撮影は時間との戦いだったそうです。大野先生は井上さんの行動力、実践力に敬意を表し、様々な障害に遭遇しながら井上さんの人柄、穏やかさで良き対人関係を作り、写真撮影を可能にしたと語られました。現地で連絡すべき人は大野先生が紹介しました。ただ、驚いたことに、二人は一緒に取材旅行をしていません。大野先生は教育公務員で休みが自由に取れず、井上さんはフリーランスの写真家で行動に自由度がありました。多い時で1年に6回、合計13回ビルマに行ったというメモ書きが残っています。『パガンの仏教壁画』『ビルマの仏塔』に掲載されている写真の選定作業は二人で行い、大野先生が解説を執筆し、この著作は二人の合作であったと、大野先生は述べておられます。正垣さんは大野先生の手紙の返事には井上さんへの信頼と愛情が溢れ、温かな交流があったことが感じられたと語られました。

写真資料アーカイブ・芸術資源活動

井上さんの写真を今後どうするのかが課題でした。引き取り手がなく、このままでは大切な資料が捨てられてしまうのではないかと、一旦、京都市立芸術大学預かりにされたようです。その時に山下晃平さんがプロジェクトリーダーとして引き取り、京都市にお願いし廃校の小学校が仮保管所として提供されました。大量の資料はまず、何がどのくらいあるのかという総量調査から始まったとのことです。テーマは仏教壁画だけでなく、茶道関連、祭事、寺社、自然と幅広く、スライドだけでなく紙焼きの額装のものもあり、何がどのくらいあるのか把握するのが大変だったようです。

2018年にその総量調査も終わり、ラダックの仏教壁画の分類をする際に、正垣さんならわかるのではないかということで声がかかったとのことです。寺院別の分類、データ化は進め、ひと段落ついた2021年3月に「井上隆雄『インド・ラダック仏教壁画』資料展」を開催。そこで井上さんの写真だけでなく、正垣さんの模写も展示され、資料展を訪れた国立民族学博物館(民博)の末森薫さんから、パガンの仏教壁画の分類もどうかとお話がかかったとのことでした。その時から正垣さんは山下さんからチームリーダーを引き継ぎます。

デジタル化が本格化

DiPLAS(地域研究画像デジタルライブラリ)という学術研究支援基盤形成「研究基盤リソースプログラム」の『地域研究に関する学術研究・動画資料情報の統合と高度化』に採択され、井上さんのビルマでの写真が組織的に一挙に整理されていき、デジタル化が一気に進めることができたとのことでした。今までのチベットの写真は京都市芸術大学の大学院生などに協力してもらい、細々とデジタル化を進めていたので、今回の民博でのプロジェクトに感謝していると述べられました。

DiPLASでは、フィルムの収納袋やマウントに井上さんの手書きがあるものは、情報として記録する民博の資料整理のノウハウを活用する形でデーターベース化しているとのことでした。寺井淳一さんが2021年からバガンの寺院壁画写真の整理を開始なさっていて、撮影場所の確定、どの本に載っているかがわかるようになっている。拡大したりして見ることができるので、民族学や壁画研究にとっても活用でき、できれば、今年度中に一般公開したいと意欲を話されました。オンラインサロン中には進行中のデーターベースも一部ご紹介されました。

色彩について

京都市の廃校になった小学校に写真資料一括を保管したが、空調も完備されていないので、フィルムの劣化していた。赤みがかかっている、黄みがかかっているなど、本来の色が損なわれてしまったので、岡田真輝さんが色調補正を試行しながらデジタルデーターベース化を進めているとのことでした。

芸術実践とは ー 正垣さんの模写

正垣さん自身の模写の過程で井上さんの写真が大いに役立ったと述べられました。ラダック、アルチ寺般若波羅蜜仏母の模写をするのに適切な写真がなく、どうしようかと思っていた。2010年の現地調査では寸法を測り、カラーマッチングや色の手順もわかっていた。でも、細部が確認できず、10年程模写ができない状態でいたのだが、井上さんの写真を高精細なデジタル化を行い、細部を確認でき、模写が完成した。ただ、逆に画像があるから模写できるというわけでもない。絵画表現はその主眼をわかっていないと模写はできない。仏様の洋服の模様、装飾品の素材、硬さ、ボリュームを理解してから模写するので、実物を見ることが必要と付け加えられました。

井上さんのポジフィルムは6x7のサイズで拡大しても原寸大に耐えられる模写ができるのが特徴で、活用範囲が広がると言われました。

また色彩についても話されました。東洋の絵画で用いられている材料はそう変わらない。鉱石、土などを原料とする顔料と、植物、虫などに由来する染料色に、展色材(膠、アラビアガム、油、卵等)として何を用いるかで、絵画技法が変容する。古典を勉強しているとおおよそ材料と技法を推測できるそうです。また、科学分析はラダックもパガンもしていないとのことでした。顔料は現地で買ったもの、採取したものもあって、なかなか今では手の入らない色材もあるそうです。鉱石を粉砕し、砂状、粉状にしたものを顔料として用いることもあるそうです。例えば、写真の左下の金の粒はネパールのある都市の職人が独占的に製造しているものです。金粉をニカワ、蜂蜜を混ぜたものをタブレット状に成型し、グラム数で売っています。画家は、これを水で溶かして仏様の表面や塗布したり、仏画の彩色に用いたりします。日本での金の彩色には、金を薄く伸ばした箔、そして金を粉末にした金消粉が紙に包んだ状態ものが用いられます。このタブレット状の成型は、仏教信者は寺院への寄進しやすいよう持ち運びしやすい形が好まれたのだと考えられます。

下にあるのが井上さんの写真であげ写しという方法で現状模写していき、壁画に生じている劣化、ひび割れなどもそのまま描写するものです。

他の模写も紹介されました。翟(てき)建群さんのパガンの壁画の模写で、翟さんは二回パガンに行かれています。6x7の井上さんの写真を原寸大におこし、模造壁に模写をなさいました。

シンポジウムを開催―2023年3月12日

2023年3月12日、国立民族学博物館で「井上隆雄の視座を継ぐー仏教壁画デジタルライブラリと芸術実践」というタイトルでシンポジウムを開催しました。6名の登壇者(正垣 雅子、石山 俊、丸川 雄三、岡田 真輝、寺井 淳一、菊谷 竜太、末森 薫は司会)の発表とディスカッションと展示で構成したそうです。展示室は芸術実践としての模写、井上さんのカメラや取材ノートなどの資料、写真のデジタルアーカイブの機器、三部門での展示でした。ラダックのサスポール壁画、アルチ壁画模写、バガンの壁画模写、井上さんのカメラ、書籍、ノート、メモ、井上さんを忍ぶことができる几帳面なメモが展示されました。メモを通して取材の様子がライブ感で伝わるものでした。また、4Kモニターでの井上隆雄さんの写真上映は、デジタル化によって写真細部が鮮明に確認できると紹介されました。壁画というのは経年劣化し、その後、修復されていきます。例えば、ラダックの場合は、井上隆雄さん撮影時の50年前は、ユネスコの修復もまだ入っていない頃です。海外今まで入域ができなかった地域が外国人に開放されてすぐ、井上さんは現地に行かれています。だから、現地の人が守ってきた壁画そのものが残っていて、それを撮影されました。修理前の非常に貴重な写真が拡大して見られるのは活用範囲が広がるとのことでした。

現在は上記の6名のメンバーで「仏教壁画の再現模写から寺院空間の構想について」研究チームを組むことになったとのことでした。2022年9月はチベットのラダックの仏教寺院へ民博の末森さんと寺井さんと一緒に井上さんが行った寺院や新発見した仏塔などに取材を行ったりした。井上さんの写真をアーカイブ化に関わり、他領域の人と繋がり、視野が広がり、井上さんのことを恩人のように思っていると話されました。

井上さんの写真の紹介

井上さんの写真からわかることがあります。1976年のパガンには緑がすくなったことです。パガンは乾燥地域だと再認識した。東京文化財研究所でパガンの修復に関わっていらっしゃる前川佳文さんがおっしゃるには、ヨーロッパの研究者が文化財保存の目的で樹木を植えたとのことでした。ただ、それは本当によかったのかと疑問に思うことがあるそうです。根が張りレンガの建物に歪みが出てしまうことや、植物から飛ぶ種子が修復材料の土に混ざり、修復後の壁画から芽が出てくることもあるとのことでした。

また、正垣さんはパガンに二回行かれていますが、パガンにはアカシアの木が多くあり樹脂を絵の具の接着剤として使用していたのだとわかるとおっしゃいました。膠だったら暑いところなので腐ってしまうとのことでした。

井上さんの壁画を撮影した写真が多数ありますが、その中でローカティパン寺院の写真を紹介されました。摩耶夫人がお釈迦様を産んでいる出産のシーンで、写真の左の方に白い光沢があり、壁画の上に何かが塗布されているか、平滑な状態であるのがわかる。写真が白飛びしていることによって材質感がわかる。塗布が当初からなのか、修復の時に保護として塗布されたのかは、わからない。『バガンの仏教壁画』に掲載されている写真は、どれも図像が明瞭な写真ばかりで、暗い堂内でここまでの画像が撮れるのは井上さんの技術によるものが大きいと述べられました。

壁画以外の写真も紹介されました。

仏教壁画以外の写真も紹介

壁画以外の写真も紹介されました。

井上さんいろいろ写真を撮っていて整然とメモがきもされているが、言葉の表記などできるだけ情報を入力するよう心がけているそうです。正垣さんのおっしゃるには、追加情報を付与することで、活用の範囲が広がる。デジタル化するだけではなく、そこに情報が付与されることが重要だと言われました。

新聞記事のスクラップ紹介

井上さんが掲載されている京都新聞のスクラップの紹介がありました。1978年に来日されたビルマの高僧シ長老、別の日にマウン情報文化相に出版したばかりの『パガンの仏教壁画』を贈呈されている時の写真と、1979年1月7日、プノンペン陥落時にアンコールワットに滞在していた頃の写真などが紹介されました。陥落時、遺跡は静かだったと書いてありました。年末年始にビルマの取材のためバンコクにいる時、10年ぶりにアンコールワットへの団体ツアーの定期観光が再開する情報を入手して申し込んだそうです。アメリカ人、イギリス人、日本人5人と一緒にアンコールワットに行かれたそうです。滞在予定時間は10時から16時。16時に飛行機が離陸した後、空港が爆破されたとのことでした。

アーカイブ実践で感じたこと

正垣さんは井上さんの写真をアーカイブする過程で気づいたことを話されました。井上さんの写真は記録としても資料としても貴重ですが、井上さんがいいなと思ったところを撮影されたことがわかるとのことでした。それは仏教図像学などの研究者などの写真と違い、井上さんの写真は芸術家の芸術写真であるということが分かったとのことでした。

模写をするにあたっては、やはり写真だけでは模写は無理であるということも話されました。写真だけでも推測はつくが、実際見ると違っていたというのもある。写真はその状況を記録していることに間違いはないが、表現の本質を探る時には、余計なものが写り過ぎていることがある、ということも話されました。

土地、建物、空気、環境を総合的に見て、実際に行ったところを模写する。その上で写真があればなおいいとのことでした。井上さんの写真は綺麗に写っているかだけでなく、行動力、情熱が感じ取れる。ただいずれの写真も一人ではできない仕事であるということも感じる。井上さんのメモ書きから見て取れるよう現地の人に非常によくしてもらったのだろうと思う。人の存在が感じる写真が多く、壁画を書いた人の息吹も感じ取れる。

井上さんは壁画だけではなく、40歳以降にも写真家として素晴らしい仕事をなさっているが、今のところはラダックとビルマの仏教壁画のフィルムだけアーカイブ化している状態です。このことは、アーカイブに携わる人によって写真が選択されて保存されていくという、この活動のアーカイブ活動の性格になっていると話されました。

作業自体は非常に地道。アーカイブ化されたものは歴史資料、図像学などの研究資料として活用できる。人材、専門家、アーカイブできる予算、場所なども必要で、井上さんの仏教壁画の写真はある意味、運がいいのではないかと話されました。


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質疑応答

Q1 写真家は世の中多い、研究者として写真を撮っている人も多い。井上さんの写真のアーカイブ化は運がいいと思う。この活動を通して人の縁が広がっていくのがいい。井上さんの功績を仏教壁画だけでなく包括的に見られる機会があればいいなと思う。現地の息吹を大事にされているのが井上さんの写真から感じられる。現地への還元もやっていただきたいと思う。

A 3月の民博でのシンポジウムにはラダックの人が参加した。1977年は僕の生まれた頃だと言われて、当時の様子がこの写真で見て取れるので感動しておられた。現在のラダックは観光地化し、活性化したが、昔からの習慣が薄らいできていて、寂しく思っている人がいると思う。正垣さん自身は、当初はこのような写真は学術関係の人に役立つと思っていたが、現地の人たちにとっても有益なものと感じた。井上さんの写真は大きく印刷しても画像の精度が素晴らしいので、ラダックで模写展示会と上映会を開催したい。パガンでもやってみたい。さらに、井上さんの写真は壁画修理の資料として活用して欲しいと思う。


Q2 井上さんのメモには現地の研究協力者に関する記述はないのでしょうか。1980年代の前半、パガンはウーポーケーという考古局の人が勤務されていました。また、1971年6月から1989年6月までは観光ビザは7日間でしたので、それを利用されたのではないかと想像します。

A 井上さんのノートには人の名前、住所も書いてある。調査はできていない。
一部のメモはPDF化している。日曜美術館の代本にも一週間だけ、撮影は時間との戦いだったとの記述がある。壁画をひたすら撮っていく作業だったと思う。


Q3 復元作業は労多いと思うのですが、どこに喜びや楽しみがあるのでしょうか。また、当然その巧拙があると思いますが、判断基準はあるのでしょうか。

A 労はある。模写をしながら至らない、壁画との距離が縮まらないと思うことがある。日本画は、伝統的でそれに固執している表現領域ではなく、進化系と考えています。前の世代の人がやっていたから、私たちがいる。材料も作る人がいて、使う人がいるから継続するが、今は、それが難しい。百年前の和紙と今の和紙も質感が違う。模写は、模写する人が、先人の美意識を理解し、材料と道具を用いて表現する。つまり感性のリレーであり、伝世です。パガン、ラダックは簡単に行けない場所なので、その壁画は、模写によって伝える、文化は続くと思う。写真があれば記録は済むというものではなく、表現というのは人の感性と手技でできている。我々、画家は当時の絵描きとシンパシーすること、共鳴することが喜びになる。
壁画には、上手い下手はある。ちょっと下手だなって思うことがある。上手な絵画の場合は、訓練受けたプロの絵描きの仕事。王権や、宗教は権力や資金があるので、精度が上がるのは当然。下手な場合は、おそらく民衆の手によるもの。ただ、書き手は上手な人も下手な人もみんな一生懸命やっている。誠実さは上手、下手に関係ない。巧みだが誠実ではない、巧みではないが誠実という絵はたくさん存在する。子供の絵がいい例だと思う。


Q4 井上さんと正垣さん自身が単に記録ではなく、美術的感性を元にお仕事をされてきたという点がとても面白く感じました。正垣さん自身パガン壁画の復元をされて、時にお好きな作品はありますか。その理由は? それから、井上さんの写真、正垣さんの絵画作品をミャンマーの方に見せて何か印象的な感想を聞いたご体験はありますか。

A パガンに二回行ったのだが、まだパガンの壁画を模写していない。翟さんが模写をしている。パドーダミャー寺院は表現に癖があるのが好きで、ベンガルの雰囲気を感じる。コンバウン期よりもパガン期は東南アジアの匂いがする。パガン期にベンガルから持ってきた絵が伝わったのか、人が動いているのか、感性が伝わっていると感じる。(寺井さん補足:パガン初期はベンガルの影響がある。13世紀の記録では、インド系の人がいたと書いてあった。)
チベットは取材してきたので置き換えてお話したい。現地の人によると当たり前のように壁画があり、この絵をどうやって描いたかは考えてもみなかった。現地の人からあなたは見えるのですねと言われ、自分の役割を感じた。それは日本画を勉強してきたおかがけだと思う。ただ、昔のままの材料、技法でというのも現実的には難しいし、問題もあると思う。例えば、ミャンマーの漆工房やラサの顔料製造工房を見学した時、毒性のある顔料が使用されていた。現在の日本では禁止のものも、素手でつかんでいることもある。その色は、この原料でないと出せないという事情と推察するか、安全性も考えていってほしい、と話された。

A 田村さんのコメント。
井上さんには二回会ったことがある。
この写真にある高僧の棺を塔上に運び、数日間かけて火葬する。3階以上の高さから井上さんは撮った。(井上さんのアシスタントであった田口葉子さんによると井上さんは塔の上に登って写真を撮ったと言っていたとのことでした)ミャンマー人の取材班に井上さんも混じっていたはず。ビルマは当時、鎖国していたが、外国人には親切で、壁画の写真も現地の人が手伝われたと察する。
当時ミャンマー では入手不可能だったコダックのフィルムを井上さんからもらったり、マンダレーのホテルで話し合ったりしたのを思い出した。懐かしい思いでいっぱいです。ウーマウンティンは外国人の世話をするので有名で、元マンダレー大学のビルマ語の先生だった。
空撮の写真は興味深い。マンダレーの北にあるタウンビョン村で精霊ナッの祭りが有名で、雨季には水浸し、乾季にはこのような状態になるのかがわかる貴重な写真だと思う。

A 原田正美さんのコメント
10月7日は大野先生の命日で1年前に亡くなられた。日曜美術館の話など、今日は大野先生を忍ぶいい御供養になった。二人で共同作業されていたのが目に浮かぶような感じだった。支えてくれる人に巡り合い井上さんは逝去された。記録だけではなく、井上さんの眼差しが投影されている。『パガンの壁画』の本のすごさを改めて認識した。一緒に行って撮ったと思っていたので驚いた。二人の共同作品。大野先生が繋いだことがこれからも繋いでいく。模写も素晴らしいと感銘を受けました。

(記事執筆:億 栄美)
<無断転載ご遠慮ください>


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アンドモア

◎ 井上隆雄さんのラダックとビルマの写真資料DBの公開


『井上隆雄「ラダック・ビルマ仏教壁画」写真コレクション』 https://diplas.minpaku.ac.jp/collection/mdl2021b01/
2024.03.31 公開開始(全2,060件)


特にビルマの箇所については、寺井淳一さんの尽力で、壁画について詳細なコメントがされており、クリストフさんのコメントに億栄美さんの日本語訳がついています。

○ 億栄美:京都市在住。ヤンゴン外国語大学ビルマ語初級コース修了(2001年)、赤十字国際委員会 (ICRC https://www.icrc.org/en/where-we-work/asia-pacific/myanmar)
ビルマ語通訳官(2002年2月〜2007年10月、2013年5月〜2020年6月)

MUNIER-GAILLARD Cristophe :億の配偶者。
https://independent.academia.edu/CristopheMunierGaillard
パリ・ソルボンヌ大学東洋研究センター(CREOPS https://creops.sorbonne-universite.fr/presentation-japonais/) 所属。フランス人。 ニャンヤン、コンバウン期のミャンマー仏教壁画専門家。

仏教壁画の現地調査に度々同行。
井上隆雄氏に仏教壁画の写真撮影方法を教示頂くべく、2012年、2014年に京都市左京区の井上氏のアトリエにも同行。自然光と人工光をうまく混ぜながら写真を撮るというアドバイスを頂いた(億栄美)。

○ 資料展「井上隆雄「インド・ラダック仏教壁画」資料展—井上隆雄写真資料に基づいたアーカイブの実践研究 — 蘇る天空の密教図像」:2021年3月23日(火)ー28日(日)、京都市立芸術大学小ギャラリー
https://www.kcua.ac.jp/arc/wp/inoue/index.html

○ シンポジウム「写真家 井上隆雄の視座を継ぐ ―仏教壁画デジタルライブラリと芸術実践―」
2023年3月12日、国立民族学博物館第3セミナー室
https://www.minpaku.ac.jp/ai1ec_event/40293
https://www.kcua.ac.jp/20230312_symposium/

同シンポジウム要旨集
https://www.kcua.ac.jp/wp-content/uploads/76583159ef39abca047b01505a78748e.pdf

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