今、ミャンマーの人と社会を語り合う ~映画『僕の帰る場所』と、転換期のミャンマー
日緬合作映画『僕の帰る場所』(藤元明緒監督、2017年)は、2018年東京国際映画祭・アジアの未来部門にて作品賞及び国際交流基金アジアセンター特別賞(監督賞)などを受賞しました。こうした評価にたがわず、いろいろと考えさせられる映画です。在日ミャンマー人について丹念に描くとともに、それを通して、より普遍的な問題を問いかけています。既にご覧になった方も多いと思いますが、今回あらためて、それぞれの受け止めや思いを語り合えればと思います。
ところで、映画に描かれるような、国外の異なる文化のもとに生きる人々からの影響もあり、ミャンマーの社会は転換期にあるといえます。また、政治の世界でも、11月8日(土)に5年ぶりの総選挙が予定されており、一つの節目を迎えようとしています。軍、宗教、そして民族問題と大きな課題を抱える、この国の在り方についても、皆で一緒に考えてみたいと思っています。
NPO法人 日本・ミャンマーメディア文化協会 理事長の佐藤華子さんと対話をしながら、そして参加者の皆様にも積極的に加わっていただきながら、話を展開していきたいと考えています。
ミャンマーについて思うことや質問のある方は、あらかじめ、参加申し込みメールの末尾に記していただければ、話の中で皆様と共有していきます。
よろしくお願いいたします。
田村克己
埼玉県生まれ。慶應義塾大学人文社会学科人間科学専攻卒。
2014年8月、シルクロード国際行政書士事務所開業。
2019年1月、株式会社おしんドリーム起業、代表取締役就任。
2019年4月、NPO法人 日本・ミャンマーメディア文化協会 理事長就任。
大学時代に、偶然アルバイト先で出会ったミャンマー人たち。それぞれ様々な事情を抱えながらも彼らの多くはオーバーステイで、入国管理局に摘発され、強制送還で帰国。その一部始終を目の当たりにして、無知で無力な自分に悔しい思いをした。強制送還された彼らは最低5~10年、日本に入国することができない―。こうして、ミャンマーに戻っていった彼らに会うため、ミャンマーへ渡航。当時のミャンマーのイメージは「ビルマの竪琴、軍事政権、アウンサンスーチー自宅軟禁」くらいであったが、親日家で人懐っこく、日本人がどこかに忘れてしまった豊かな心があることに気づく。それ以来、ミャンマーに魅了され、ミャンマー語を学ぶ。また、大学時代の教訓を糧に、日本にいる外国人の役に立ちたいと思い、ビザ業務の専門行政書士として日々奮闘中。
2014年11月、日本・ミャンマー合作映画『僕の帰る場所』の撮影現場でのミャンマー語コーディネーターとして参加し、撮影終了後は映画の広報活動を行いつつ、2016年3月、プロデューサーらとともにNPO法人 日本・ミャンマーメディア文化協会を立ち上げる。現在は、NPO主催で本作の自主上映会の募集・運営を行っている。
神戸市長田区に生まれ、高校まで過ごす。
1996年の阪神淡路大震災の影響で、通っていた幼稚園、小学校はいずれも今はなくなっている。
東京大学社会学研究科文化人類学専攻修士課程修了。
最初の勤務先、鹿児島大学の荻原弘明先生(故人)の導きにより、ビルマ(ミャンマー)の研究・調査を始める。
1979年から80年にかけ、ザガイン近郊の農村に滞在、調査。また、マンダレーの北の、ナッ(精霊)信仰の聖地タウンビョンにも通い、調査。
金沢大学を経て、1988年から国立民族学博物館勤務。総合研究大学院大学併任。
ミャンマーの研究・調査を続けるとともに、ラオス・ベトナムなどの東南アジア大陸部、また、中国福建省の漁村など、東アジアでも調査を行う。
その後、総合研究大学院大学理事を経て、現在、国立民族学博物館/総合研究大学院大学名誉教授。
主な編著書に『転換期のミャンマーを生きる 「統制」と公共性の人類学』(土佐桂子と共編、風響社、2020年)『レッスンなきシナリオ ~ビルマの王権、ミャンマーの政治』(風響社、2014年)、『ミャンマーを知るための60章』(松田正彦と共編、明石書店、2013年)、『文化の生産』(編著、ドメス出版、2007年)、『暮らしがわかるアジア読本 ビルマ』(根本敬と共編、河出書房新社、1997年)など。