≪内容≫ ミャンマー(ビルマ)という国とその人々と出会ったことで人生が大きく変わった人は多いと思いますが、私もその一人です。
今回は、これまでの私のミャンマーにまつわる思い出や、日緬友好サークル「みんがらネットワーク」での、主に機関誌発行などの活動のお話。それからボランティア教室やプライベートレッスンなどの日本語レッスン、そしてミャンマー人の夫やたくさんのミャンマーの人たちとのふれあいについてお話しします。
また、現在進行中のメルマガ「みんがらネットワーク通信」やミャンマー図書室「みんがら文庫」設立計画など、これからの夢についてもお話しします。
なお、今回の演題についてですが、以前発行していた機関誌「みんがらネットワーク」会報に掲載するために、周囲の方にエッセイを依頼することがしばしばありました。すると、なぜか「私のビルマ/ミャンマー」といったタイトルをいただくことが多いように感じ、不思議な気がしていました。
果たして、これは他の国の場合も同じなのでしょうか。もしかしたら、ミャンマーは他の国と比べて、それと関わった人それぞれにとりわけ深い思いを残し、思い入れを生じさせる何かがあるのではないでしょうか。
そのような思いがありましたので、このような演題といたしました。
お話は、4つの時期に分けていたします。それぞれの時期でふれる主な話題は、以下の通りです。
1) ミャンマーとの出会いの始まり
- 日本語ボランティア教室、ビルマ語教室
- 「みんがらネットワーク」への参加 ほか
2) ミャンマーとのつながりの深まり
- プライベートレッスンの日々
- ミャンマーコミュニティで過ごしたこと
- 初ミャンマー訪問、難民キャンプ訪問
- 夫の地元と里帰りのこと ほか
3) ミャンマーと日本のつながりの試み
- 『みんがらネットワーク』会報の発行
- U Mingalarこと西田敦さんのこと ほか
4) かけはしとしての新たな挑戦
- メルマガ発行、図書室の計画、表紙写真展、出版活動への夢
- 日本語レッスン実施中 ほか
今回の話は、ミャンマーの専門家の方や関わりがより深く長い方が大勢いる中では、既によく知られた話もあり、一市民の体験談の域を出ないかもしれません。
しかし、ミャンマーと関わりのない方(以前の私のように)にはミャンマーの国や人々について知っていただき、長らくミャンマーとともに歩んでこられた方には懐かしい思いを共有していただければ幸いです。
≪プロフィル≫
鈴木貴子
千葉県市川市出身
1998年 日本語ボランティア「ビルマ人と日本語を学ぶ会」に参加。
1999年 チェリーミャンマー語教室に通い始める。
そこで日本に住むミャンマー人とミャンマー大好きな日本人との友好サークル「みんがらネットワーク」に加入。のち、メンバーに誘われて「みんがらネットワーク」内のボランティア「ミンガラ日本語教室」に参加。
このころ、在日ミャンマー人へのプライベートレッスンをはじめる。
2000年 初めてミャンマーを訪れる。
2004年 一時休刊していた機関誌「みんがらネットワーク」会報の編集を始める。
2019年 メルマガ「みんがらネットワーク通信」配信開始。
同年 "日本語パートナーズ"ミャンマー6期内定。(2020年派遣中止・延期)
2020年 "日本語パートナーズ"ミャンマー7期内定。(2021年派遣中止)
同年 オンラインで日本語レッスンを開始。
ミャンマー関連書籍を集めた図書スペース「みんがら文庫」を準備中。
みんがらネットワーク
サイト
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