「砂漠の中の化学プラント」
(田中明所有の絵画 )
<無断転載、ご遠慮下さい>
第21回
『楽平家オンラインサロン』
2022年5月11日(水)
20:00〜
未知なるイスラムの生活
話の内容とプロフィール
≪プロフィール≫

1.兵庫県出身。京都大学工学部石油化学科卒業だが、世界で大きなスケールの仕事がしたくて、1972年商社の三菱商事に入社した。

2.会社では石油化学を担当し、その仕事上赴任先は石油・天然ガス生産国の下記イスラム教3カ国(約15年間)となった。
  • サウジアラビア 1984-1987(イランイラク戦争の時代、湾岸戦争直前)
  • マレーシア 1995-2001(マハティール首相の時代、帰国直前9.11)
  • インドネシア 2003-2006
この他、ベネズエラに、1992-1994 長期出張(Project Manager)

3.2006-2009、扶桑化学工業に三菱商事より出向、国際事業本部長
アメリカ子会社の取締役。タイに合弁会社設立、代表取締役CEO

4. 2010-2016、三菱商事定年後、お菓子のコトブキ常務取締役。
ベトナム子会社の取締役、この間、ミャンマーにも出張。

5.現在、生まれ故郷の芦屋で、自分の経験を活かし、認定NPO法人「芦屋市国際交流協会」副会長兼国際事業委員長としてボランティア活動を行い、芦屋市の姉妹都市交流や外国人支援、国際交流などに従事しています。

6.また2018年に、京町家「楽平家」を舞台にしたプレイベントにも何度か参加し、新たな出会いと創造、ミャンマーの現実・習慣の情報などを経験しました。



≪今回のセミナーの要旨≫

1.1973年に第四次中東戦争が勃発、サウジアラビアを中心としたOPEC各国が原油価格を値上げ、そして原油の生産を削減した。エネルギー源を中東に依存していた世界各国で「オイルショック」と呼ばれる経済混乱が発生し、政府レベルでエネルギーの安定確保が急務であった。商社各社も原油や石油製品の確保及び石油/天然ガス製品の現地生産化を検討し、わが社(三菱商事)はサウジアラビア政府と合弁にて現地で石油化学プラントを建造し製品を日本へ輸出することが決定した。

2.自分はその担当者としてサウジアラビアに赴任することとなった。
その当時未知なるアラブ中東の国であり、イスラム教の発祥地で戒律の最も厳しい現地で家族帯同(妻と息子二人)での駐在は珍しかった。
1980年代の古い話ではあるが、その実生活の経験に基づく体験談をして皆様のお役に立てればと思います。

3.自分は勿論イスラム教徒ではなく、無神論者(家は浄土真宗)です。イスラムの世界を実体験したが、今日はイスラム教の教えについて詳しく議論するつもりはありません。

4.先週の阿良田さんのインドネシアのイスラムの生活やハラールの話を興味深く聴かせて戴きました。有難うございました。
自分はサウジアラビアの後マレーシア、インドネシアと三か国イスラム教の国々に家族共に赴任し、イスラム教がその土地の歴史・風土。人種・慣習などによって大きく変遷を遂げたことを体験・痛感しています。
今日の話を通じその相違を感じて戴ければ幸甚です。
【楽平家オンラインサロン 第21回報告】
1. 兵庫県出身。京大工学部石油化学科卒業だが、世界で大きなスケールの仕事がしたくて、1972年商社の三菱商事に入社。

2. 会社では石油化学を担当し、その仕事上赴任先は石油・天然ガス生産国の下記イスラム教3カ国(約15年間)。
  • サウジアラビア 1984-1987 (イランイラク戦争の時代、湾岸戦争直前)
  • マレーシア 1995-2001 (マハティール首相の時代、帰国直前に9.11)
  • インドネシア 2003-2006
この他、ベネズエラに、1992-1994 長期出張(Project Manager)

3.2006-2009、扶桑化学工業に三菱商事より出向、国際事業本部長
アメリカの子会社の取締役。 タイで合弁会社設立、代表取締役CEO

4.2010-2016、三菱商事定年後、お菓子のコトブキ常務取締役。
ベトナム子会社の取締役、この間、ミャンマーにも出張。

5. 現在、生まれ故郷の芦屋で、自分の経験を活かし、認定NPO法人「芦屋市国際交流協会」の副会長兼国際事業委員長としてボランティア活動を行い、芦屋市の姉妹都市交流や外国人支援、国際交流などに従事。

6. また2018年に、京町家「楽平家」を舞台にしたプレイベントにも何度か参加し、新たな出会いと創造、ミャンマーの現実・習慣の情報などを経験。

今回のオンラインサロンでは、サウジアラビアを中心に、赴任したイスラム教3国の当時の事情を、学者・研究者とは違い、滞在者の生活の中での体験談という視点で語った。(上写真)
〔報告者注:以下、田中さん作成のレジメと当日の講演の要約。講演後の質問に対する回答も含む。 ※印は、サウジアラビア以外での田中さんの見聞談〕

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1 サウジアラビアへの赴任
「砂漠の中の化学プラント」(田中さん所蔵の絵画)
1973年、その年に勃発した第4次中東戦争に端を発したオイルショックが世界の経済を混乱させた。各国ともエネルギーの安全確保が急務となり、三菱商事はサウジアラビア政府と合弁で現地に石油プラントを建造し、製品を日本に輸出する事業に取り組んだ。

田中さんは、天然ガスからエチレンを生産し、それを原料としてポリエチレンとモノエチレングリコールを作る工場を現地で担当することになった。家族帯同が会社の方針であるため、不安を抱きながら家族(妻と息子2人)とともにサウジアラビアに向かった。
サウジ人の仲間と、カフサムというサフランライスの上に羊の丸焼を乗せたものを手で食べる。中央が田中さん(36歳の頃)
出発にあたり、未知のイスラム世界について事典などで調べたが、男女差別、アルコール禁止、断食などおおむねそのままの世界だった。

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2 日本とアラブ世界の違い (田中さん作成資料)
日本
アラブ
森林・畑・・・自然や緑が多い
砂漠(沙漠)・・・砂の世界で水の少ない不毛地帯
農耕
牧畜
定着・定住
遊牧・・・ベドウィンが代表的
工業
商売
太陽崇拝…家は南向き
(何より意外だったこと)太陽のため暑く、砂漠化。で、日本と正反対) 月崇拝…北に窓
国境がある
国境がない…線引きの山や川が無い
そのため常に侵略・紛争の歴史
国家があって宗教がある
宗教があって国家がある(国を捨てることがある)
➡「自衛」や「心の支柱」としての宗教が不可欠

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3 体験談
(1)噂に聞く「目には目を」、法律はあるの?

・実際は無法地帯でなく、コーランを規範とするシャリーア(イスラム法)に従う。
自分が交通事故を起こしたら子どもがひき殺される?という不安があったが、そうではない。

・イスラム法は「目には目を、歯には歯を」を容認する。しかし「目には目だけでいいよ」という解釈もある。

・仕返しを放棄する者は「贖罪」となる。同等の報復をするより放棄を勧めている。

・「財産に応じた喜捨(ザカート)を行わなければならない」

・死刑執行は「信者は処刑に立ち会うべき」との原則により公開処刑。
田中さんも「公開処刑を見に行こう」と誘われたが、こわくて行けなかった。
例:サウジアラビア人が女性を殺したため公開処刑。外国人が処刑されたこともあった。
殺人など重罪や麻薬売買に関する公開処刑は今もあると聞く。
※マレーシアで、法に基づき同性愛の女性が宗教裁判にかけられ、公開杖打ち。
インドネシアのアティ州で最近、不倫女性への百回むち打ちがあったと聞いた。
(2-1)1日5回の祈り(サラート)

・早朝(日の出の頃、早い時には午前5時ころから祈りの放送が始まり起こされる)、正午過ぎ(1~2時)、遅い午後(夕方4~5時)、日没後(7時頃)、寝る前(10時頃)。

・サラートの時間は、仕事も会議も中断。時間になると会社の従業員がスーッと消えて近所のモスクに行くが、止めることはできない。

・客が買い物中でも店は閉鎖するので、10~15分間外で待つ。
※店の閉鎖はサウジアラビアだけで、マレーシアやインドネシアでは閉鎖しない。
(2-2)断食(ラマダン)

・ヒジュラ暦(イスラム暦)は太陰暦で、1年は354日。西暦622年がヒジュラ暦の始まり。
ヒジュラ暦第9月、日の出から日の入りまで断食。水もタバコも口に入れない。

・日本人もイスラム教の信仰を尊重し、その時期は彼らの前では飲食・喫煙せず、別部屋で。
※マレーシアやインドネシアでは、日本人に付き合い飲食する人もいる。

・経験的には、断食により身が清められ、胃の調子がよくなる。水など最低限のものは口にするが。
(2-3)一夫多妻

・この点は、皆さんが理解していたこととかなり違う。

・コーランに「聖戦での未亡人や孤児を救済するため、妻を4人まで認める。すべて平等であるべし」と記載されている。戦争のため男性が極端に少なかったためと言われている。

・現実には複数の妻を持つことは、経済的にも精神的にも負担が多く、田中さんの部下に2人の妻を持つ者が1名だけいたが、「たいへんだ、たいへんだ」と言っていた。
※マレーシアやインドネシアも少なかった。
(3)偶像崇拝の禁止

・神、人、動物などを象ったものは神に反抗する行為とコーランに書かれている。

・近所にアメリカ人の女の子が人形を持っていたが、宗教警察が見つけて没収した。人形の持ち込みは不思議だが、アラコム(アラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー)経由で入手したのか、入国審査のチェックを抜けたのか。

・洋服屋のマネキンは首から上、顔が無い。
(4)男女差

・コーランに「男は女より優位にある。能力や適性に違いがある」と記載されている。
これは差別でなく、それぞれの役割があると理解すべきだ。「ノコギリとカナヅチは、どっちがえらいか」というようなもので、能力的に優劣は無いということ。

・女性は肌を隠す。サウジアラビアでは目の部分すら開けていない。サウジアラビア国内で女性の顔を見ることは一切なかった。飛行機で国外に出た時、トイレで着替えて出てきた女性の顔を見たのが唯一。サウジ女性は入国後、飛行場内の部屋で国内用に着替える。

・女性は働くものでなく、職業が制限される(女子校の先生、医者などのみ)。女優や歌手業は全く許されず、TVに登場するのは外国人のみ。

・田中さんは、女中を雇えないので男中(フィリピン人など外国人労働者)を雇っていた。

・(女性は不満を持っていないのかという質問に)女性が男女差に不満を持っているとは聞かなかった。今は、車の免許も認められ、徐々に女権が強くなったと聞いている。親が決めて結婚への拒否もあるかも知れない。
右:田中さん、左:同夫人(外国人の夫人は肌を隠すが顔出しはOK)1985.1撮影
(5)三つの警察

・宗教(風紀)警察、交通警察、治安警察が存在し、常に市中を緑・青・黒の色の違うパトカーで監視している。

・宗教警察・・・外国人に対しても肌出しは×、顔出しはOK。
人形、ミニスカートは×。
1台の車に夫婦で乗車する場合も、写真入り身分証明書があればOK。訪ねてきた友達の奥さんを車で送ることはできず、その時は妻を同乗させる。
左図の黒衣の女性について
一番左は目も黒布で覆う: サウジアラビアやクウェート
2人目は目を出す: イランやイラク
3人目は12歳以下で顔を出す: 幼い子は特に制限なし
(女児は、12歳になったら体をおおうことをいやがっていないの?)いやがっていると聞いたことはない。
(6-1)ハラール(豚肉の禁止)

・製造工程、加工、輸送にまで制限がある。
※マレーシア、インドネシアでも徹底していた。

・豚肉のみならず、豚に由来する食品(ゼラチン、ラーメンなど)、医薬品、化粧品(コラーゲン)もだめ。

・入国の空港での税関チェックは厳しく、30分から1時間かかるのは当たり前。
(6-2)アルコールの禁止

・ぶどうジュースとイースト菌を発酵させて濾過し、葡萄酒を自家製造する者もいる。(見つかってつかまったとか、つかまらなかったとか)

・白い粉類に厳しい。要は医者の証明書があれば輸入OK。
(6-3)その他

・週刊誌やビデオも、女性のヌードやポルノの疑いがあり没収される。
他社の社員で、テニスの練習用に日本で撮ってもらったレッスンビデオは、女性の手足が出ていたため税関でひっかかり、画像が消去されて返ってきた。

・独身男性の家でヌード的な写真が壁に。「秘密ですよ」と、ジグゾーパズルにして分散して持ち込み、時間をかけて完成させたと語る。見つかれば大変。

・(ポルノ写真などパソコンデータでの持ち込みチェックは?の質問に)50年前はパソコンは無かった。今はデータで入ってきているかも。
(7)金利、税金、保険の概念がまだ無かった

・金利・・・コーランに「イスラム金融は金利を取らない。金利は不当所得である」。

・銀行に預金すると利息は付かないが、Commission Feeという名目で利息相当分がもらえた。

・税金・・・王国(Kingdom)のため税金の概念が無かった。国そのものが王様の所有物で、石油などを国民に分け与えると考えた。現在は税金がある。

・保険・・・将来のことを含め全てアッラーの神の思し召しのままなので、保険の概念が無かった。現在はある。
(8)作法、礼儀、習慣の違い

・家の出入り口や部屋は男女別。そのため夫婦で知人宅を訪問しても、入口も部屋も別で、奥さんの顔を見ない。12歳以下の子どもは可。
レストラン、スポーツも男女別々。
【注;参加者の体験談】マレーシア、インドネシアはそうでない。

・スーパーマーケットで2~3人の妻を連れて買い物に行く人も。

・女性用プールや体育館などでも、女性はヒジャブ(顔を覆った黒服)のままで。

・葬儀は土葬。左手は不浄。男性同士で手をつなぐ。髭を生やすのは当然。
(9)イスラム教を国教とする3国の差

・厳密には「国教」と明記されているのは、サウジアラビアとマレーシアの2国。
イスラム法の厳しいのは サウジアラビア、マレーシア、インドネシアの順。

・サウジアラビア・・・イスラム教発祥の地。三大聖地のうちメッカとメジナが存在し、カバー宮殿をもつ。他の聖地はエルサレム。

・マレーシアとインドネシア・・・13世紀にアラブ商人がイスラム教を伝える。
仏教・ヒンドゥー教の時代は終焉。
中国系が多く、豚やアルコールは不可欠。
イスラム教徒以外の者には、五行やハラールなどの制約は一切なし。
国民がイスラム教の戒律を守り、価値を認め、為政者が他民族・多言語国家をまとめるためにイスラム教を利用したと考える。

・マレーシア・・・マレー系はイスラム教、中国人は仏教、インド人はヒンドゥー教やキリスト教。

・インドネシア・・・87.2%、1.7億人がイスラム教で「イスラム教の国」だが、国教でないので「イスラム国家」ではない。バリ島はヒンドゥー教。

・イスラム教の国は、インドネシア(人口1位)、パキスタン(2位)、インド(3位)、バングラデシュ(4位)、エジプト(5位)、ナイジェリア(6位)など。
(10)イスラム教の「性」と「結婚」

・イスラム教において、セックスは祝福であり、コーランに前戯の必要性も書かれている。

・「妻はお前たちの畑である」→「土壌は種を受け入れる用意ができていなければならない」
「キス、愛撫、和やかな言葉を使って妻をその気にさせるように」と。

・ヒジャブは女性を守るため、清純であることを示すための服装。コーランに「目を伏せ、陰部を守るように」。

・性欲には規制がある。結婚以外のセックスは姦通(ズィナー)という大罪の一つ。

・男女に割礼儀式がある。女性割礼はクリストス、大陰唇、小陰唇を切除、膣を縫い合わせる。今もやっているかは?

・初夜に新郎が封鎖された膣を開く。(処女維持? レイプ防止? 性欲減退?)

・コーランに結婚に関する章節が多い。
結婚は夫と妻の父親との契約。親が決めた結婚を女は拒否できない。
「結納金」の話は聞いたことがない。
禁止の結婚(親子やきょうだいの結婚はダメ)、いとことの結婚は認知、4人妻
セックス不能や犯罪の場合などだけ離婚の理由になる。
男女交際は禁止なのでデートはない。
同性愛には厳しい。
(11)その他

①イスラム原理主義
・アルカイダなど過激派で知られるが、欧米が作った造語で、イスラム世界にはない語。
・イスラム教の原点に戻ろうという純粋な気持ちがある。
・厳しい環境から自らを守るためイスラムの共同体を理想としてきた。
・欧米の快楽主義(アルコール、麻薬、セックス、エゴ、家庭崩壊など)に対する反発がある。
(田中さんがオンライン画面で表示した図を撮影し、そこに十字を描き加えた)
②サウジエアーの機体のマーク
機体に右図のようなマークを描いたとたん、「中にキリスト教(十字架)があるじゃないか」と批判が出て、機体を塗り替えた。
(12)イスラム社会の今後について

「イスラム教信者ではない自分が言える立場ではないが」と前置きして

・歴史を重く受け止め、歴史を語り継ぐことは重要である。

・他の宗教同様に「唯一の神を崇拝し、神の前では平等」は同じだが、
ユダヤ教は「選民主義」
キリスト教は「三位一体(父としての神、子としてのキリスト、聖霊)」
イスラムは「アッラーは絶対の神で、全知全能だから、アッラーの前では平等であり、同じ権利を持つ」

・ユダヤ教ネットワークがあるように、今やイスラムのグローバリゼーション、即ち人口増加(20億近くなると言われる)に伴う国境を越えた移動、ネットワーク、特にイスラム金融、ハラール市場がますます進むだろう。

・さすがにイスラム過激派によるテロ、難民は減るだろうと、私は想像する。

・「イスラム化」は進む。日常生活において欧米文化に反発し、イスラムの戒律に価値を見出し、生きて行こうとする。特に人口の多いインドネシア、パキスタンの中間層、青年層に多くなってくる。

・日本へは明治中期にイスラム教が入り、オイルショックで関心が高まった。ロシア・ウクライナ問題で、資源・エネルギー関係上ますますアラブとの関係が深くならざるを得ないと思う。

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〔参考〕イスラム教とは? (田中さん作成資料)
(1)歴史
(2) コーランとは?

・114章からなる。
・ムハンマドが神から授かった啓示をまとまたもの。

・コーラン以外の経典
「モーゼのモーゼ五書」、「ダビデの詩篇」、「イエスの福音書」
コーランこそが神の言葉を完全に伝えているものであり、最も優れた経典で、最後の経典と信じられている。
(3―1)イスラム教の6つの信仰「六信」

① 神(アッラー):神のみを信じること→「偶像崇拝」につながる。
② 天使(マラク):アッラーの使者である天使を信じること。
「汝の主はありがたき方ですべてを救う」「汝は神の使徒である」・・・

③ 啓示(キターブ):啓示を信仰すること。
他にモーゼの五書、ダビデの詩篇、イエスの福音書など。

④ 預言者(ナビ―):25人
アダム、ノア、アブラハム、モーゼ、イエス、ムハンマド、・・・

⑤ 来世(アーヒラ):最後の審判の日を信じること。
現世は来世のもの。最後の審判を待つ。

⑥ 天命(ガダル):すべてはアッラーの意思によるものと信じること。
(3-2)イスラム教の宗教上義務「五行」は儀式か?

① 信仰告白(シャハーダ):「神は唯一にして、ムハンマドはその使徒である」と告白すること。
② 礼拝(サラート):一日5回の祈り。金曜日はモスクへ。病人、旅行中など免責あり。
③ 喜捨(ザカート):財産に応じた喜捨を行わなければならない。財産の2.5%?

④ 断食(サウム):イスラム暦9月(ラマダン月)に日の出から日の入りまで
飲食(タバコ、性交、自慰行為も含む)を断つ。忍耐力、自制心を養い、体を浄化。

⑤ 巡礼(ハッジ):イスラム暦第12月にメッカのカーバ宮殿にお参りすること。
毎年不可の人は一生に一度を目指す。
※マレーシアやインドネシアのイスラム教徒もメッカへの巡礼を一生の夢とし、こつこつと積み立てを行い順番枠を待つ。(カーバから「今年の〇〇国は◎万人」という順番枠が通知される)
積立金の総額は莫大で、イスラム金融として、世界の経済を動かしている。

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〔講演後の話し合いから〕
児玉武雄さんの体験談
  • 1989年9月にサウジアラビアに赴任したが、90年8月の湾岸戦争で、大急ぎでロンドンに避難した。その1年間の体験談。
  • 周囲を高い塀で囲まれたコンパウンドに住んだ。10軒ほどの家と10個のプールがあり、色々な国籍の人が住んでいた。わが家の周囲には、日系アメリカ人、ギリシア人、フランス人、ノルウェー人など。幼稚園やミニスーパーがあり、別世界だった。
  • 一度だけジョニーウォーカーを入手できたが、空瓶は沙漠に捨てて逃げた。裏の日本人の奥さんが大学の醸造科卒で酒の醸造を教わる。使用人がいると密告されるが、わが家は妻のみだったので堂々とできた。砂糖を100㌔単位で買い35℃の所に置いておくと発酵する。それを蒸留器で焼酎を作り果物を加えて果実酒にする。しかし、湾岸戦争で緊急避難する時、全部そのままにしてきた。
  • 西洋人が大々的にパーティーをやり、密告で捕まった。正月に日本大使館で日本人学校の先生らが招かれて日本酒を飲んだ。しかし外に出たところで捕まった。
  • 酒は少し飲んだだけで、たばこはアラビアタバコも含め一切やらなかったので、帰国後「肝臓の数値がよくなった」と医者もびっくりした。
  • 会社で、社員が別の社員の奥さんをうっかり車に乗せて捕まったことがあった。
  • ほとんどコンパウンド内にいたが、一度「赤い沙漠」にジープで行き、ラクダを鍋で煮たものを食べた。「ラクダの目を主賓に出す」という風習があるため、出された人は困っていた(田中さんは、「私はラクダの脳みそをよく出されました」)
  • 取引先の建物から公開処刑場がよく見えた。テレビで木曜夜になると公開処刑の予告があるので、金曜日には取引先に皆が集まり「わーっ」と歓声を上げる。私は後ろ向きになって見ていなかった。
  • 動物園は男入園の日と女入園の日があった。
土橋泰子さんの体験談
ニューヨーク滞在中、ユダヤ教徒と付き合いがあった。ユダヤ教も、脊椎のない生き物や豚肉を食べてはいけないなど、イスラム教との共通点があったようだ。サウジアラビアでは?
田中さんの体験談
サウジアラビアは100%イスラム教徒で、ユダヤ教徒は入国できなかった。
1次~4次の中東戦争はパレスチナの聖地をめぐる戦いで、サウジとイスラエルは厳しい関係。
妻がクリスチャンでエルサレムを訪問したいというので休暇をとった。しかしサウジ滞在者のパスポートにイスラエ入国印があるとサウジに再入国できない。それで第3国のヨルダンに飛び、別紙にエルサレム入国ビザを書いてもらいイスラエルに入国。出国の時も別紙にイスラエル出国印を押してもらいヨルダンに戻り、イスラエル入国ビザを消してサウジに再入国した。
(最近はイスラエルとアラブ諸国も国交回復の方向にあり、サウジがイスラエル航空の領空飛行を認めるようになったが、という質問に)以前はスンニー派中心だったが東部のシーア派も増えている。ユダヤ教徒も住めるようになったと聞いている。少しずつ変わってきているようだ。
億栄美さんの体験談
2008年~2013年にモロッコに滞在した。穏健派イスラム国で、5年間を自由に過ごしたので、田中さんの話がピンとこなかった。ワインを作り、豚肉の入手もできた。
フランス領だったこともありヨーロッパの影響が強いようだ。
一方でサウジアラビアの衛生放送MBCの影響が強く、スカーフをする女性が増えるなど2極化しているように感じる。アラブの春の時期で、過渡期だったようだ。
2008年赴任時、MBCで「カイゼン」という番組がヒット、毎日日本の特集をしていた。3時の放送時間には車が通りを通らないほどだった。その番組で、イスラムの教えを実行しているのは日本人だと放送したこともあり、モロッコの人たちは日本に非常に好意的だった。
また、アラブ世界の識字率は40%に対して日本はほぼ100%、電車の中で皆が読書している映像を流し、「日本人は素晴らしい」と称えていた。
(田中さんから)サウジアラビアから遠くなるほど、独自の発展をし、その土地に根を生やしたイスラム教になっていくと思われる。日本人は質素で欧米のような贅沢を嫌うところが、イスラム教の教えに近いとみなされたのだろう。
〔田中さんの体験談を聞いて・・・記録報告者:土井清史〕
イスラム国は「宗教があって国家がある」、つまり宗教は憲法より上位にあるものだという指摘で、世界で勃発している宗教上の対立の理由が分かった気がしました。
また、「楽平家オンラインサロン」でイスラム国家からの報告が続き、比較することで、どの国も「個人の自由」と「宗教の戒律」の間で揺れている。あるいは過渡期なのかと感じました。とりわけ最近のイランのスカーフ事件がそれを象徴しているように思います。
9月6日付朝日新聞「特派員メモ」で女性記者が、3年前にサウジアラビアへ出張した時は、空港に着いてすぐに全身を覆う黒い民族衣装「アバヤ」を身につけた。しかし今回はその必要がなかったと書いています。
数十年前のこと、日本のタイヤ会社(ブリジストンだったか)がサウジアラビアへのタイヤ輸出がやっと認められた時のこと。「タイヤの溝の模様がアラビア文字でアラーと読める個所がある」とクレームがあり、溝の模様を変えることになったという新聞記事を読んだ。日本へのいやがらせかと思ったのだが、サウジエアーの機体マークへのクレームの話を聞き、"公平に"クレームをつけていたのだと分かった。
(記事執筆:土井清史)
<無断転載ご遠慮ください>
アンドモア
○ 田中明さんが、現在、主に活動に従事されている「芦屋市国際交流協会」について、ご自身からの追加メッセージ。
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自分は定年後生まれ育った芦屋市に戻り、NPO法人芦屋市国際交流協会でのボランティア活動に参加し、現在は同協会の理事で副会長をしています。
最初はNPOと言う組織やボランティアと言うものに慣れませんでしたが、自分の商社時代の経験を活かし、主に1961年に芦屋市がアメリカのモンテベロ市と締結した姉妹都市交流事業を中心に国際親善に取り組んで来ました。姉妹都市と学生親善の交換や市民訪問団の交流を行い、(コロナでこの3年間は中断しましたが)ホストファミリーを含めその候補者の募集や選考もしています。(実は自分の妹が約50年前にこの学生親善となってお世話になり、その「恩返し」の意味もあり同協会でボランティアすることとなりました。)
また、芦屋市の多文化共生を目指し外国人への日本語教室、文化教室(茶道、華道)などを開催、料理教室、セミナーやコンサートなども行っています。防災教室では地震や津波の経験のない外国人が多く、自分も改めて勉強して実際に机の下に入って見せたり新聞紙を使って防寒や傷の治療を実演したりもしました。
基本的に全員(事務員除く)がボランティアなので自分と同年齢の方々が多く、価値観なども共有しながら時には議論を戦わせ、今まで経験できなかったことも経験しながら楽しんでボランティア活動をやっています。自分が長年経験したイスラムの生活や文化が直接役に立ったことはありませんが(笑)。
最近では「英語落語」や田村先生の「ミャンマーの話」のセミナー、などが印象深く残っており、毎年慣例のハワイアンやジャズコンサートなども含め自分自身が楽しみながら手伝っています。
また、「ドイツの日」、「インドネシアの日」などをその国の歴史、文化を広め交流を深める日がありますが、来年2023年3月12日日曜日に「ミャンマーの日」を行うことが決まりました。この楽平家のサロンで見聞きしたミャンマーの文化(舞踏、楽器、織物、かるた、、など)が紹介できればと思っていますので、是非皆様にも参加して戴きたいと願っています。
それから、 芦屋市国際交流協会で取り組んでいることに「やさしい日本語」があります。「やさしい」は「優しい」ではなく「易しい」です。
多くの人が知っていると思いますが、外国人に日本語をわかりやすく話して上げるということです。それには「ハサミの法則」と言うのがあります。「はっきり」「さいごまで」「短く言う」の頭文字です。敬語や謙譲語、擬音・擬態語など一切使いませんし、漢字の言葉でなくひらがなで、「、、、ます。、、、です。、、、ください」などを使います。 このテーマだけで1時間ぐらい話せる内容ですよ。
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○「認定NPO法人 芦屋市国際交流協会」のホームページは、以下です。
https://npo-aca.jp/

○イスラム世界の女性の服装について、田中さんからの追加説明
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アラブの女性の服装については、同じイスラム世界でもかなりの違いが見られます。
その中でもサウジアラビアは戒律が一番厳しく全身黒ずくめで目さえ出していません。それを我々は「アバヤ」と呼んでいました。(外国人である家内は外出時顔を出すことは許されましたが、腕や足など体は黒い布で覆っていました。)
マレーシアやインドネシアでは日本でもモスレムの女性でよく見かける髪の毛だけを包んで見えないようにする「ヒジャブ」を覆っていました。
「ニカブ」と言う眼だけ開けている服装もあります。
従って、P4の写真は左からアバヤ、ニカブ、ヒジャブとなります。
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これからの「楽平家オンラインサロン」
新春からは、ミャンマーの宗教シリーズ全3回が始まります。

1月18日は、斎藤紋子さんが「仏教徒社会に暮らすムスリム」のお話です。
ミャンマーに暮らすロヒンギャ以外のムスリムについて、彼らの日常生活、モスクでの礼拝、仏教徒との関係、民主化以降の反ムスリム運動とその影響などを話されます。
(この月は、開催日が第2水曜日でなく、第3水曜日18日となっていますので、ご注意ください)

2月9日は、小島敬祐さんの「「ミャンマー仏教」の諸相―出家とフィールドワークの個人的経験から」のお話です。
小島さんは、学部生時代にバックパッカーとして、雲南省のミャンマー国境に面した瑞麗からシャン州ナンカンを訪れて以来、ミャンマーや西南中国の仏教徒たちと様々な形で関わってこられました。こうした今までの人生と、クーデター後の2022年にシャン州を再訪した経験に基づき、ミャンマーとその周辺地域における仏教徒社会の諸相について紹介されます。

3月9日は、キリスト教徒の多いカチン民族を研究されている、今村真央さんが、ミャンマーのキリスト教について語られます。
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