ヤンゴンかるた
(野中優那提供)
<無断転載ご遠慮ください>
第15回
『楽平家オンラインサロン』
2021年11月10日(水)
20:00〜
かるたで伝えたい
ミャンマーの人々の暮らしと文化
話の内容とプロフィール
私たち「Yangonかるたプロジェクト」は、ミャンマーに関わ りのある中学1年生から大学4年生を中心としたグループです。

プロジェクト代表の野中優那です。
2021年2月1日、ミャンマーでクーデターが起きた日。私たち家族は、経済都市であるヤンゴンに住んでいました。あの日、私は平和も自由もあたりまえではないことを知りました。「たった1日で生活のすべてが変わる」そんな信じられないことを経験しました。でも日本に帰国した時、私たち若い世代は、世界で起きている貧困や紛争を教科書で学んでいるはずなのに、無関心であると感じました。

いま、多くの方が食糧支援や医療支援、署名など、ミャンマーの支援活動をされています。私たちはお金も力もありませんが、若い世代だからこそできることがあるのではないか、と問い続けてきました。

私の知るミャンマーには、穏やかな日常がありました。いま平和と民主主義のために戦っている人たちは、家族とご飯を食べたり、恋をしたり、仕事をしたり、そんな当たり前の日常を生きていた人たちです。自分の知っている美しいミャンマーの情景や優しい人々の暮らしを、一人にでも多くの方に伝えたい、との思いからこのプロジェクトを始めました。

日本の伝統文化であるかるたは、子どもから高齢の方まで、あらゆる年齢の方々が一緒に楽しめる遊びです。かるたは、実際にヤンゴンの街を歩いて、家族で撮影した写真を使っています。読み札だけではわからない文化や暮らしを伝えるために、さらに詳しい説明や映像を使い、そこで生きる人々のストーリーを伝える、特別なかるたです。

まずは、来月から始めるクラウドファウンディングで資金を募り、かるたを制作します。そして、学校や地域の異文化交流の場で、使ってもらえるように活動を広げていきます。次のステップとして、日本を紹介するミャンマー語かるたを作り、ミャンマーの子どもたちに遊んでもらうことを考えています。5年後、10年後にかるたを通じてお互いの国を知った若者が交流する未来を思い描いています。

今回の楽平家には、野中優那、石川航(外語大4年)、山本哲史(外語大4年)の3名が、それぞれのミャンマーとの関わりやかるたプロジェクトについてお話をさせていただきます。かるたをご紹介できるのを楽しみにしています。

Yangonかるた
Facebook:https://www.facebook.com/yangonkaruta
Instagram:https://www.instagram.com/yangon_karuta/
Twitter:https://twitter.com/yangonkaruta
クラウドファウンディング(公開前リンク):https://camp-fire.jp/projects/493908/preview?token=393fs7si


<野中優那(のなかゆうな)>
国際基督教大学高等学校一年生の16歳。ベトナムのホーチミンで 2年、ミャンマーのヤンゴンで2年を過ごす。ミャンマーでは、C OVID-19とクーデターを経験し、日本に帰国。兄と弟がいる。
朝日新聞掲載記事(https://www.asahi.com/articles/DA3S15082146.html
    話の内容
    • 今年3月まで、ミャンマーで暮らした私が、ミャンマー支援の活動としてかるたを選ぶまで
    • 協力してくれる方がいるからこそ、活動が広がることについて
    • Yangonかるたの札の紹介
    • 今後のプロジェクトの展望について

    〈石川航(いしかわわたる)〉
    東京外国語大学ビルマ語専攻4年。日本にいるミャンマーの人たちと立ち上げた「日本ミャンマーMIRAI創造会」や大学の有志などで、ミャンマー支援活動を実施。
    日本ミャンマーMIRAI創造会
    Facebook:https://www.facebook.com/Japan-Myanmar-Future-Creative-Association-103086038618761
    Twitter:https://twitter.com/jmfca331

    話の内容
    • ヤンゴンかるたに協力したきっかけ
    • ミャンマーへの想い

    〈山本 哲史(やまもとさとし)〉
    東京外国語大学ビルマ語専攻4年。2019年12月からヤンゴン 大学国文学科に留学。文化を通しミャンマーに興味を持ってもらうことを目的とした団体Light Up Myanmarの活動や、大学有志の活動に参加。
    Light Up Myanmar
    Facebook:https://www.facebook.com/Light-Up-Myanmar-100196378890709

    話の内容
    • ヤンゴンかるたやミャンマーへの想い
    • ヤンゴンでの思い出(かるたの札に関連して)
    【楽平家オンラインサロン 第15回報告】

    2021年11月10日の「楽平家オンラインサロン」は、「かるたで伝えたいミャンマーの人々の暮らしと文化」の話でした。

    今回は、「Yangonかるたプロジェクト」から、かるたを作った野中優那さん、ヤンゴンかるたを広める活動をしている大学生の石川航さんと山本哲史さんにお越し頂きました。Yangonかるたは、ヤンゴンの街を写真で切り取り、かるたにすることで、遊びながらミャンマーの文化や暮らしを学ぶことができるというものです。3名の若者それぞれ、ミャンマーに対する思い入れがあり、ミャンマーの平和を願う気持ちが痛いほどに伝わってきました。彼らの熱い想いが支援の輪を広げ、今回も多くの参加者から質問やアドバイスなどがあり、将来に希望を持てる回となりました。

    【前半】3名による自己紹介、ミャンマーへの想いとYangonかるたについて

    野中優那さん(以下、野中さん):私は2021年2月1日にクーデターが起きたとき、ヤンゴンに住んでいました。ただ、当初は平和的なデモが多く、民主主義を求める国民のエネルギーに期待感がありましたが、次第に状況が悪化し、退避を余儀なくされ、日本へ帰国しました。卒業式もできず、卒業証書は先生が自宅まで届けてくれるような状況でした。帰国後は高校へ入学しましたが、周りから「危ない国から戻ってこれてよかったね」と言われたことに対して、違和感を覚えました。クーデターのニュースなどを見聞きするにつれ、ミャンマー人が生きていくための食糧や医療などの支援をしたいと考えましたが、背伸びをせず、高校生の私だからこそできることは何だろうと考え始めました。

    そこから、私は兄と弟の3人で撮ったミャンマーでの写真を使って、ミャンマーの美しい風景・景色を紹介したいと思うようになりました。それには、次のような理由があります。兄は字を書くことができないという障害をかかえており、日本へ帰国後、都内の高校に入学の交渉をしても、受け入れられませんでした。結局、兄は日本での進学をあきらめ、オランダの大学へ進学したのです。兄は自身の体験から、学びを得られないことの悲しさ、学びを奪われることの怖さを知っています。そんな兄を見て、今学びの機会が奪われているミャンマーの子どもたちの学びをサポートしたいと思いました。そして、弟がミャンマーで撮った写真の1枚が海外の写真コンテストで見事優勝に輝き、50ユーロで落札されました。それにより、弟は自分の好きなことで社会に貢献できる嬉しさを知ったのです。これらの私たち兄弟の経験を活かし、Yangonかるたの構想が出来上がりました。

    石川航さん(以下、石川さん):東京外国語大学に通い、1年生のときにヤンゴン大学に短期留学をしました。2年生の夏には、NGOの活動でバガンへ行きました。そのとき、スマホをタクシーに置き忘れてしまったのですが、私の手元に無事戻ってきたことから、ミャンマーの人々の心が温かいことを知りました。そんなミャンマーにクーデターが起き、何もできない自分に無力感でいっぱいでした。また、ミャンマーの悲惨な状況が伝わってくるたびに、自分たちの活動がどのように人々に伝わっているのだろうかと不安になりました。そのようなときに、Yangonかるたプロジェクトを知り、野中さん兄弟の想いに共感したのです。私もミャンマーの元来の姿や、平穏な様子をみなさんに知ってもらいたいと思うようになりました。こうして、いくつもの学校で出張かるたの取り組みを始めることとなりました。

    山本哲史さん(以下、山本さん):東京外国語大学に在籍し、2019年12月にヤンゴン大学に留学しましたが、2020年3月末にコロナで留学を途中で断念し、日本へ帰国しました。私も石川さんのように有志の活動を行っている中で、Yangonかるたプロジェクトのことを聞き、参加するようになりました。私は自分から何か企画を立ち上げるというのは苦手なので、逆にそういう人をサポートできるのではと思いました。

    私が感じたのは、そもそもミャンマーを知らない人が多いということです。ニュースではクーデターに関する暴力的なシーンが多く、そのようなイメージがついてしまうのは非常に残念です。また、ミャンマーで知り合った友人は大学卒業を諦めるなど、現地での教育は停滞しており、学びを奪ってはならないという野中さんの考え方に共感しました。私はかるたをゆくゆくはミャンマー語に翻訳したいと思っています。

    ここで、山本さんがミャンマーで撮影してきたシュエダゴン・パゴダ(ミャンマー最大の仏教寺院)などが紹介されました。

    次に、野中さんがYangonかるたの絵と読み札が紹介されました。とても色鮮やかな美しいかるたで、写真自体のクオリティの高さにも参加者の皆さんも感心していました。

    野中さん:たとえば、かるたの中に、ヤンゴンの環状線を撮影したものがあります。実は、ヤンゴンの環状線には昔の日本車両が使われているのです。(ヤンゴンの環状線を動画で紹介)

    私はたまたまヤンゴンに住むことになりましたが、国際社会の中で私にできることとは何か、と自問自答した結果、5年、10年先のために美しいミャンマーを、より多くの人に伝えることだと思っています。今月からクラウドファンディングを開始し、かるたを500セット販売する予定です。そして、かるたを使ってイベントも行っていきたいと考えていますので、皆さんにご協力をお願いしたいです。また、拡散、寄付、応援メッセージ執筆のご協力もお願いします。クラウドファンディングの次のステップとしては、日本のかるたをミャンマー語版でも作成し、文化交流をしていきたいです。

    【後半】質疑応答

    まず司会者から3名に対して、質問をしました。

    司会者:(野中さんに対して)今までYangonかるたプロジェクトの取り組みにおける課題はありますか?

    野中さん:間違った伝え方をしてはいけないので、伝え方には気を遣い、何度も練り直しました。

    司会者:(石川さんに対して)様々なイベントを行ったり、団体を立ち上げたりしていますが、難しいと思っていることはありますか?

    石川さん:政治色が強く、タブーにしたい雰囲気もある中で、刺激的になりすぎず、バランスのとり方が難しいと思っています。

    司会者:(山本さんに対して)ミャンマーでの留学生活の中で、一番印象に残っていることは何ですか?

    山本さん:ミャンマー人のホスピタリティと親切さでしょうか。本当に日常の些細なことですが。路線バスの通学時にバス内が混雑していましたが、知らない人が別の人の重い荷物を何とはなしに持ってあげている光景を見かけました。

    その後、参加者からの質疑に答えました。

    Q1 (クーデターの当時)デモに参加するミャンマー人の学生を見て、ご自身も参加しようと思ったことはありますか?

    野中さん 日本人として、ミャンマーの人たちの邪魔をしてはいけないという気持ちが当時は強かったです。


    Q2 Yangonかるたの読み札は漢字なので、小さい子が使うことも想定してフリガナをつけたほうがよいのではないでしょうか?

    野中さん 今後検討したいと思います。今は、同年代の中・高生向けに作り、まずはミャンマーを知ってほしいと思っていました。今後、幼稚園や小学生向けにも検討します。


    Q3 今回はミャンマーのことを伝えるとのことですが、逆に日本のことを伝えるとしたら、どのようなことを伝えますか?

    野中さん 桜、雪、和食…日本の文化を紹介したいです。また、日本とミャンマーの共通点をかるたにしても面白いと思っています。

    石川さん 日本の文化、名所、ミャンマー人が日本に興味を持ってもらえることを伝えたいです。

    山本さん ミャンマー人は仏教徒が多いので、鎌倉大仏など仏教に関するものを多めにしても良いと思います。


    Q4 今のミャンマーの子どもたちはミャンマーのことを知らない場合も多いのではないですか?そう考えると、ミャンマーの子どもたちに伝えるという視点もありだと思いますが。

    野中さん 実は最初にそれを考えていました。将来的にトライしてみたいと思います。


    Q5 ミャンマー人にはなじみがないので、特にかるたキーパーの人にはかるたの遊び方を伝える必要があるのでは?また、そもそもかるたとは何かという説明は、特にミャンマー人向けにはあったほうがよいと思いますが。

    野中さん かるたキーパーは読み札に書いてある文と、かるたの絵だけでは伝わらないこともあるため、補足説明をする役割も負っています。そのため、それぞれのかるたに説明冊子をつけて販売しようと考えています。この説明冊子は読み物としても面白いと思います。

    多くの参加者から3名の若者に対する期待のまなざしが向けられ、エールの声が届けられました。最初にYangonかるたを思いついた野中さんご兄弟のお話をお伺いして、「毛利の三本の矢」を思い起こしました。学びを得ることに苦労したお兄さん、想いを形にした優那さん、写真を撮るのが得意な弟さん。それぞれご自身の得意分野や経験を持ち寄って、自分たちにできることを考えた末の結晶なのだと思いました。それに共感する若い人たちの輪が広がり、多くの人に共感を得て、広がりを見せています。今日も日本のあちらこちらで、Yangonかるたで遊ぶ子供たちの声が聞こえてくるようです。Yangonかるたプロジェクトの皆さんが伝えたい美しいヤンゴンを一日も早く取り戻せることを願いながら。

    (記事執筆:佐藤華子)
    <無断転載ご遠慮ください>

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