"何気ない日常に彩りを。"
第12回
『楽平家オンラインサロン』
2021年8月11日(水)
20:00〜
「モリンガ」の取り組みとミャンマー
織物の現状
ミャンマーの伝統的な柄を使ったモリンガの
代表アイテム ©2019モリンガ
発表要旨とプロフィール
発表要旨

モリンガは、日本人女性二人で2016年に立ち上げたミャンマーの布を使ったバッグのブランドです。

モリンガを運営していく上で見えてきたミャンマー織物の問題点を踏まえ、モリンガが今後、ミャンマーの女性ら共にどのように進んでいこうとしているか、展望をお伝えできればと思います。

モリンガについては、よろしければ、以下をご覧ください。
https://www.moringayangon.com/(日本語版ホームページ)
https://www.moringahandmade.com/ (英語版ホームページ)
https://www.instagram.com/moringahandmade/ (インスタグラム)
https://www.facebook.com/moringahandmade (Facebook)

なお、モリンガは、今年の4月〜7月の間、伊勢丹新宿店、横浜高島屋、名古屋高島屋、日本橋三越にてポップアップを開催しました。


プロフィール

今野まや

日本にてインテリアやフードのスタイリストとして雑誌を中心に活動後、モリンガを設立。現在代表を務める。「天然生活WEB」版にて連載中。
https://tennenseikatsu.jp/
東京在住。

水口知香
在学時代にビルマ語専攻。1998年よりNGOでのミャンマー駐在などを経て、現在、教育機関職員。鍼灸師としても活動。モリンガアドバイザー。ヤンゴン在住。
【楽平家オンラインサロン 第12回報告】
8月11日開催の「第12回楽平家オンラインサロン」には90人近くもの方が参加する盛況の会となりました。

今回のオンラインサロンでは、ミャンマーの伝統的織物の商品化に取り組んでいらっしゃるmoringa代表のお二人、今野まやさんと水口知香さんに、お話を伺いました。moringaではミャンマー女性たちの持つ織物技術を生かして、モダンなデザインの鞄を製作・販売しています。moringaの創設の契機や歩み、そこに込められた思い、デザインの工夫など多岐にわたる話題に一同が聞き入る時間となりました。

※ご発表時のパワーポイント資料より画像を転載しています。
moringa [モリンガ]
  • 今野まや
    モリンガ創設者。日本代表。日本にてインテリア、フードスタイリストとして雑誌を中心に活動。2014年に夫の駐在でミャンマーに滞在。5年の滞在後、現在日本在住。
  • 水口知香
    モリンガ創設者。ミャンマー代表。NGO職員でミャンマー駐在を経て、現教育機関職員。現在ヤンゴン在住。

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《まず今野さんよりmoringa設立の契機、歩みをご紹介いただきました》
moringa発足の契機
私がミャンマーで出会った若い女性達は、働いて得た収入のほとんどを家族へ仕送りしていました。彼女たちに将来の夢をたずねると、「考えたことがない」という答えが返ってきました。一生懸命に働いて得たお金を自分のために使えない、ミャンマーの女性たちの小さな願いさえも叶えられない現実に衝撃を受けました。

なぜそのようなことを起こるのかを考えた時に、ミャンマーの抱える社会問題がありました。
ミャンマーの社会問題と課題
ミャンマーは、平均年間世帯所得が1,100ドルとアジアのなかでも最貧国と位置付けられます。市場開放による資本主義化がはかられる一方で、国内の経済格差がすすみ、現在では国民の3割が1日1.9ドル以下で生活しています。

なかでも女性のおかれた状況は厳しく、性平等指数でも189ヶ国中149位となります。ミャンマーの一般女性は、出自や学歴により差別され、意欲があっても安定した仕事が得られない状況にあります。

彼女たちが働く場合、考えられる主な選択肢は次の三つ、①海外へ出稼ぎ、②都会の工場での就労、③農村での就労になります。①の海外出稼ぎの場合、現在ミャンマー全体の労働人口の約2割が海外へ出稼ぎし、その半数以上が不法就労をしています。多くは不安定な単純労働に従事し、家族と離れ離れの生活を送ることになります。②の都会の工場での就労の場合、労働者の権利保護が不十分な過酷な労働と、不安定な都会生活を強いられます。③の農村での就労の場合、零細農業と小売・内職だけでは、物価上昇や厳しい海外競争に太刀打ちできず、都市との格差が拡大する一方になります。

いずれの選択肢にしても、ミャンマーの国内産業が育っていないために不安定な生活を強いられ、またお金を稼いでも結局海外に流出してしまう仕組みがそこにありました。

何かしらの方法で彼女たちの生活を支えることができないか、と考えました。
機織りの伝統
そこで、農村に元々あった機織りの伝統に目を付けました。女性の仕事である織物は、生活の糧であり、ロンジーとして日常的に着用する生活用品でもありました。しかしながら、急速に社会が変化するなかで、女性たちは工場労働などの仕事に従事するようになり、若者は洋服を着用するようになり、機織りが縮小している現状にありました。

こうした現状を考慮した時、機織りの活用・再生は、ミャンマー女性が自らの文化に誇りを持ち、国内にお金を回して安定した収入源を供給することにつながると考えました。そこでmoringaを設立する着想を得ました。
(農村で織物を織る女性)
moringaについて
約135にも及ぶ民族が暮らすミャンマー。

それぞれの地域ごとに多彩なテキスタイルが発展してきました。

「moringa」は経済的に苦しい状況に置かれている女性たちの自立と、 民族ごとに育んできた文化を継承しながら、お互いに尊重していくことを目的とし、2016年にミャンマー第一の都市ヤンゴンに設立しました。
ヤンゴンのmoringaは、住居、工房、店舗を兼ねた場所として、現地のスタッフが生活しながら働いています。
moringaの歩み
moringaの現在
現在moringaは次のようなメディア掲載やイベントを通じ、徐々にその活動が知られています。

メディア掲載:『SPUR』、『日経MJ』、『FRAU』等

ポップアップストア:伊勢丹新宿、横浜高島屋、名古屋高島屋、日本橋三越等

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《続いて、水口さんよりミャンマーの織物とその歴史についてのお話がありました》
「アチェイ」とは
複数のシャトルで経糸をひっかけながら模様を織り込んでいく

「アチェイ」は、波模様を指しますが、元々は柄の名前ではなく織り方の名前でした。経糸を張った織機に横糸を引っ掛けて織る(=チェイ)方法を指します。複雑な柄となると100 本、200本以上ものシャトルを使って柄を織り込んでいきます。moringaでは、最初にこのアチェイの布をクラッチバックに仕立て、商品化しました。
タガウン時代(紀元前)
織物の歴史はタガウン時代にさかのぼります。タガウン時代の神話には、綿花のタネを運び、栽培し、織るといった、綿織物にまつわる話が登場するため、当時から綿織物が使われていた可能性があります。また、神話には第9代ナガーナイン王が、龍との闘いに勝ち、龍の皮膚をはいで上着を作り着用していた、という話もあります。
ピュー時代(7~9世紀頃)
アチェイ柄が刻まれた土製ビーズ
ピュー時代に入り、文化が発達すると土器・装飾品・銀貨・仏像・ピュー文字などに装飾がみられ、そこにアチェイ柄の模様が刻まれている土器もあります。

この時代のミャンマーでは栽培した綿花を織物にし、貴重な貿易品としていました。当時の人々の姿も、上半身は男女共裸、下半身のみ着衣していたこともわかっています。
バガン王朝時代(11世紀半ば~13世紀)
織物が発展した時代で、その痕跡が壁画や石碑などの「織物」に描かれています。壁画の人物はアチェイ柄のロンジーを着用しています。この時、アチェイ柄はまだ「織」ではく、描かれた「絵」であった可能性があります。また、この時代は衣類に関連する言葉も多数あり、衣類の種類が豊富に現れていたことがわかります。
ニャウンヤン(インワ)時代(17~18世紀半ば)
ニャウンヤン時代に入ると、シンプルなアチェイ柄のデザイン織りの基礎が確立した可能性があります。また、インドのマニプール地方への遠征で、織物職人をミャンマーへ連行し、養蚕や織物の普及に一役買っていましたことがわかっています。
コウンバウン時代(18世紀半ば~19世紀半ば)
この時代、ミャンマーがインドのマニプールやアッサム地方へ遠征した際、織物職人を連行し、ミャンマーのアマラプラで織物の技術の普及をします。そして、熟練した織物職人が100以上ものシャトルを使用する複雑な「アチェイ」技術を伝授しました。そうした織物は、王侯貴族に着用されていました。さらには、中国の影響で養蚕が盛んになり、デザインも多様化しました。この時代に、織り方と柄が確立したと言えます。
当時の壁画にもアチェイを織っている姿が描かれている
織物の町:アマラプラ
この時代、ミャンマーがインドのマニプールやアッサム地方へ遠征した際、織物職人を連行し、ミャンマーのアマラプラで織物の技術の普及をします。そして、熟練した織物職人が100以上ものシャトルを使用する複雑な「アチェイ」技術を伝授しました。そうした織物は、王侯貴族に着用されていました。さらには、中国の影響で養蚕が盛んになり、デザインも多様化しました。この時代に、織り方と柄が確立したと言えます。
織物の町 アマラプラ
アチェイのデザイン
ここでは、アチェイの織物の基本的なデザイン7つのうち4つを紹介します。それぞれ「紐状の曲線」「2本の紐がねじり合わさった柄」「ガモン(=球根科の植物の総称)の柄」「花柄」になります。これ以外にも多数の柄があります。それらを組み合わせて織物が織られています。こうした柄には流行り廃れがあり、どんどんと流行は変わっていきます。
紐状の曲線
二本をねじり合わせる
ガモン(球根科の植物)
moringaでつくっている、下のクラッチバッグに使用しているアチェイは、シャトルを30本ほど使用し、5本の波と2本のねじり合わせの柄を組み合わせたものになります。

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《続いて今野さんより、moringaではアチェイをどのように活用しているか、お話がありました》
取り組んだこと
ミャンマーでは、1か月から3か月のうちにアチェイの柄やデザインが変わっていきます。サンプルや柄帳、色見本をつくっている人はいないため、同じ柄でつくってくださいといっても実現が難しい状況でした。そうした状況から始まりました。 現在、moringaの主力商品のクラッチバッグにもアチェイ柄を使っています。moringaでは、ミャンマーの伝統柄を生かすことにこだわり、アチェイ柄を使用し、それを都会でも違和感なく持てるようにリデザインしています。例えば、バッグのサイズに合わせて、波の模様の幅、詰まり具合、色の組み合わせを考えて、moringa独自に布を織ってもらっています。
布をモダンに再生
また、もう一つの主力商品であるトートバッグでは、中央乾燥地帯の町パコックでつくられている平織のストライプ生地を使っています。

この生地は元々、ブランケットとして使われているものですが、中国の価格競争に負けて、市場などで売れずに山のように売れ残っている布です。また、地元の人々にとっては古臭いデザインと言われ、需要が減っていて、先細りの状態にあります。ただこちらの生地は、100%ミャンマーコットンで、質感や素材感がすばらしいため、moringaでは元々ある技術、柄をつかってリデザインし、トートバックをつくることにしました。現在まで8柄つくっています。
ストライプ柄の平織を利用したトートバッグと
アマラプラの伝統柄クラッチバッグ
なぜ、鞄?
製品を鞄に絞った理由は次の4つの理由からです。

  1. 手織り布は高額であるが、鞄は使う生地が少なく済むため、お客様の手が届く価格帯にすることができる。
  2. 生地に厚みがあり丈夫なため、鞄に適している。
  3. 民族柄も鞄だと、ファッションのアクセントとして取り入れやすい。
  4. 鞄だとサイズ展開がないので、洋服に比べても縫製する女性が作りやすい。

初期は、大人用や子供用の洋服をつくりましたが、以上の理由から鞄に特化するようになりました。

このように、ミャンマーの素材をどういかすかという点と、外国人のニーズにマッチしたデザインと掛け合わせ、現在の鞄となりました。
国内最大インパクトを狙う
moringaは、全ての工程をミャンマーでおこなうことによって、国内最大のインパクトを目指しています。そのため、できる限りミャンマーの材料を使用しています。例えば、鞄の口になる部位も2年かけて探し、車の部品工場にあるゴムを薄く半分に切ってもらって使うということで解決したこともあります。

moringaでは、農村部の女性が手織りで小ロットから丁寧に織り上げた布を、ヤンゴン市内の貧困層の女性が丁寧に縫製します。できる限りミャンマーにお金が落ち、ミャンマーの国内産業を助けたいという思いでやっています。

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《最後に水口さんから次の印象的な言葉をご紹介いただきました》
ウー・シュエトゥン氏の言葉
アチェイや布の歴史を調べていた際に参考にした本に、moringaと思いを同じくする言葉が書かれていて感銘を受けました。80年前にアマラプラのサンダーという織物学校を首席で卒業したウー・シュエトゥンが書いた本の一番後ろに書かれた言葉です。この本が執筆された2004年当時のミャンマーはまだロンジーを着用する人が多くおり、伝統文化もまだまだあった時代です。筆者がその当時からアチェイの柄や伝統文化継承に危機を覚えていたのだと驚きました。この本に書かれていた3つの願いをmoringaの願いとして、本日の最後にご紹介させていただきます。

  1. 他にはないミャンマーの特別な技術を絶やさないことを願う。
  2. 公的機関が伝統的な柄を改めて発掘し直し、伝統衣装の保存をすることを願う。
  3. ミャンマー国民全員が、お祝い行事で誇りを持って着こなすことを願う。 ဉီးရွှေထွန်း [ウー・シュエトゥン ],လွန်းရာကျော်ကြိုးကြီးချိတ်
[杼100以上で織り出す波状紋様絹地] (Sape Biman、2006)


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《ご発表後、たくさんの質問が寄せられました。主なものをご紹介いたします》
  • Q:
    moringaという名前はどのような由来からつけられたのでしょうか。
    A:
    初めに、ミャンマーを連想できるような、身近な植物の名前にしたいと思い、いろいろと考えました。moringaは、ミャンマー語ではダンダルゥンという植物の名前になります。お茶などにも使われますし、「ミルクの木」とも呼ばれるほど栄養価が高い植物として知られています。ミャンマーでは、市場にもたくさん出ており、ミャンマーの方にとっても身近な植物です。
  • Q:
    こちらのバッグは海外での販売を念頭に置かれているのでしょうか。国内のおしゃれに敏感なミャンマーの方々も購買層に考えられているのでしょうか。
    A:
    もともとはミャンマー国内の人向けを念頭に考えていました。今もそれを意識していますが、現状としては日本の購買者のほうが多いです。
  • Q:
    織り手の女性たちは給与を何につかっておられますか
    A:
    第一は家族への仕送りだと思いますが、給料の一部を私が預かって貯金してもらうようにしています。その他、美容室に行ってストレートパーマをかけたり、カラーリングをしたりするのに使っているようです。
  • Q:
    moringaの事業を始めるにあたって、どういうことが一番苦労されたのでしょうか?
    A:
    (水口さん)製品としてつくるときに、品質を維持することが大変でした。そのため、きちんと縫えばきちんとした対価をもらえるという仕組みづくりを意識しました。

    (今野さん)縫製スタッフは近くにいるため直接指導することができますが、遠くの村にいる織り手のスタッフに正確に要望を伝えること等、コミュニケーションが難しいという点は今も残っています。
  • Q:
    固定給か、クオリティを含めた出来高制か、どちらですか
    A:
    固定給にプラスして出来高制です。製品チェックをし、それにパスしたものだけに出来高制で払うようにしています。つくればつくるだけ賃金が支払われることになります。
  • Q:
    染めについてはミャンマー国内で行われるのでしょうか?
    A:
    ミャンマーでやっております。
  • Q:
    日本のデパートでの販売会の際のお客さんの反応を教えてください。
    A:
    moringaやミャンマーについて予備知識ない方にも、製品を目にとめ、手に取って下さる方も多くいました。「縫製がきれいだね」とお褒めの言葉をいただくこともありました。ペンシルバッグが一番反応がよかったです。
  • Q:
    お二人はmoringaの皆さんと一緒に、どんな夢とか将来を描いていますか?
    A:
    (水口さん)moringaは人材育成の場でもあると考えていますので、moringaで働いている女性たちにもステップアップの場として捉えてもらえたらよいと考えています。

    (今野さん)日本国内のことを言うと、moringaの商品を通じてミャンマーを知ってほしいと思っています。
  • Q:
    ミャンマーで販売しているときの売れ筋は、どのような商品ですか?
    A:
    特に売れ筋というのはなく、満遍なく売れていますが、日本だとクラッチバッグのグレーと緑、トートバッグだと圧倒的に緑が人気です。
  • Q:
    楽平家カフェで販売することは可能ですか?
    A:
    いまは在庫がないため難しいですが、安定して供給できるようになったら、そういったこともできるかと思います。今は、供給を安定させることがまずの目的です。
《お二人の話には、多くの感想が寄せられました》
なかには、「ミャンマーの織物の歴史は興味深かったです。絹織物が東部インドと関係があったのが面白かったです。中国と東インドを結ぶシルクロード、特に西南シルクロードにミャンマーが関連していたことを思い出しました。」といったもの等がありました。

私自身、お二人のお話をうかがって、ミャンマーの方との出会いから、社会問題を少しでも解決したいとの思い、そしてアイディアを実際に形にしていくお二人の熱意と行動力に感銘を受けました。これからますますのご活躍が楽しみです。ありがとうございました。

参加者の方からは、moringaの製品を実際に手に取りたくなったとの声も聞かれました。

ご関心を持って下さった方は、「アンドモア」もぜひご覧ください。
(記事執筆:中村真里絵)
<無断転載ご遠慮ください>
アンドモア
〇 moringaの関連サイト
https://www.moringayangon.com/(日本語版ホームページ)
https://www.moringahandmade.com/ (英語版ホームページ)
https://www.instagram.com/moringahandmade/ (インスタグラム)
https://www.facebook.com/moringahandmade (Facebook)


〇 今野まやさんが『天然生活』に掲載中のWebブログの第3回は、『ものが生まれる瞬間』についてです。モリンガのアイディア誕生について書かれています。
https://tennenseikatsu.jp/_ct/17470877

〇 moringaについてメディアに掲載された記事。

★SPUR.JP (2017.7.5)
https://spur.hpplus.jp/culture/news/201707/05/QEdBh1Q/

★Frau(2020.1.)F
★日経MJ(2020.7.31)
https://www.moringayangon.com/blog/2020/07/31/115050

★オレンジページ(2020.9.2)
★LEON (2021.7.21)
https://www.leon.jp/editors/81130

〇 moringaについてのドキュメンタリー(2021.10. 01)
https://creators.yahoo.co.jp/ohkotnaoki/0200140664

〇 moringa応援チーム
moringaのフェイスブックアカウントとは別で「moringa応援チーム」というアカウントを開設しています。参加していただいてる方には、情報交換の場としたり、消費者目線でのご意見をいただいたり、またポップアップの売り子、商品チェックや値付けなど、様々な形で参加者の方々のご都合でゆるーく関わっていただいています。不定期ですが、交流の場としてもオンラインでモリンガ現状報告、意見交換の場を提供して行きます。

参加方法:moringaフェイスブックメッセージよりご連絡いただければご招待します。
これからの「楽平家オンラインサロン」
10月は、いつも通り第2水曜日の13日に、我が国のアイヌ民族、ミャンマーのナガ民族はじめ東南アジア各地、またモンゴルなど アジアからヨーロッパにかけて広く分布する「口琴」について、直川礼緒さんがお話をされます。実際に、不思議な楽器「口琴」の音色も聞いていただきます。

11月10日は、ヤンゴンで中学時代を過ごし、帰国後「ヤンゴンかるた」のプロジェクトを始めた、現高校1年生の野中優那さんが、プロジェクトを立ち上げた経緯を、ミャンマーへの思いとともに語ります。

12月8日は、ミャンマーのレコード音楽の研究をされているギタリストの村上巨樹さんが、ヤンゴンでのミャンマーマンドリンのレッスンを通して、楽器の習得の体験談という、興味深い話題を提供されます。「ミンミン先生を偲んで」のお話です。
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