第10回楽平家オンラインサロン
祇園祭
山鉾の軸組の特徴とその復元設計について
2021年6月9日(水)20:00 〜



大船鉾の曳き初め
( 2017年の7月20日撮影、京都市景観まちづくりセンター提供 、京都市左京区)
<無断転載ご遠慮ください>

プロフィールと内容
プロフィール

1964年京都市生まれ。京都大学工学部建築系学科卒業・同大学院修了。大阪の浦辺建築設計事務所で11年間修業。主要な参画作品「滋賀県立大学人間文化学部棟・講堂交流センター棟」「長浜曳山博物館」「鳥取県立武道館」など。2001年より青年海外協力隊でブータン王立司法裁判所に勤務。各地の裁判所の設計と現場監理を行う。

2004年に帰国後、末川協建築設計事務所を開設、以降、京町家の改修設計を多数手がける。住宅以外では「鳥弥三」「あずきや」「御料理光安」「井筒八橋祇園南店」「四条町大船鉾町会所」など。2014年より祇園祭に巡行復帰した「大船鉾」、2022年巡行復帰予定の「鷹山」の木部設計を担当。

京都の住民がガイドする、ミニツアー「まいまい京都」で、町歩きのガイドも務める。
ちなみに、まいまいとは「うろうろする」という京ことば。


主なトピック
設計者としての経歴、ブータンでの経験、京都に戻ってからの活動に加えて、近年の祇園祭の山鉾の木部設計の紹介をしたいと思います。

華やかな懸装品の陰に隠れがちですが、祇園祭の鉾の木部軸組は、日本の誇る伝統軸組構法の一つの完成形であると考えています。短期間での組立てと解体を前提とし、地上25mに及ぶ真木を人力だけで建て起し、さらにそれを辻回しできるようにした構造体。複数の鉾の調査で見えてきたその特徴や奥行きについてもお話ししたいと思います。

追加の情報
「大船鉾の曳き初め」写真の背景は、改修設計をした京町家の一つ、「四条町大船鉾町会所」。また、前方で鉾を曳く、手拭いをかぶった人物が末川。

以下の、末川協建築設計事務所のホームページもご参照ください。
http://www.kyosue.com

ブータンの話しも掲載されています。
【楽平家オンラインサロン 第10回報告】
今回は、京都で町家の改修設計を中心に活動する設計士の末川協さんが、設計者としての経歴、ブータンでの経験、京都に戻ってからの活動のお話しとともに、祇園祭の山鉾の木部設計について詳細に説明されました。60名余の参加者の皆さんは、末川さんの専門的な解説に最後まで熱心に耳を傾けていました。

今回の「報告」では、末川さんの全面的なご協力をいただきました。とくに、専門技術にかかる、山鉾の木部設計については、彼からご提供いただいた「解説文」を、そのまま引用させていただきます。ちなみに、「報告者」栗原の所有する近代数寄屋(京都市左京区)の改修設計を手掛けられたご縁もあって、今回のオンラインサロンでのスピーカーを務めていただくことになりました。

末川さんは、京都生まれ京都育ちで、大学の建築学科を卒業後、大阪の浦辺建築設計事務所で10年間、実務の修業をされました。

この間、「滋賀県立大学人間文化学部棟・講堂交流センター棟」「長浜曳山博物館」「鳥取県立武道館」など、西日本各地の公共の文化施設のコンペと設計に参画されました。

滋賀県立大学人間文化学部
長浜曳山博物館
鳥取県立武道館
2001年に青年海外協力隊員としてブータン王立司法裁判所に勤務され、首都の王立司法裁判所とインド国境の建設現場を行き来する2年半を過ごされたとのことです。
プンチョリン地方裁判所
ティンプー市庁舎プロポーザル
首都の高等裁判所
建設現場
首都の高等裁判所
この滞在中に、裁判所での設計監理の仕事以外でもブータンの自然や文化に触れる機会に恵まれたと話され、ご自身で撮られた、多くの美しい写真を紹介されました。
4000m超のヤクの放牧
シャクナゲ(エトメト)
インド平原(海抜200m)
ポインセチア
(亜熱帯気候)
首都の南の独立峰よりヒマラヤ主稜
東ブータンの集落
末川さんは、日本に帰国後、2004年に京都で設計事務所を開設されましたが、京都でやるなら新築は不要と考えられ、伝統軸組構法による戦前木造建築の改修設計だけに軸足を定められたと語られました。
末川さんは、日本に帰国後、2004年に京都で設計事務所を開設されましたが、京都でやるなら新築は不要と考えられ、伝統軸組構法による戦前木造建築の改修設計だけに軸足を定められたと語られました。
2006年実測調査
鉾の真木の修復設計
2006年実測調査
以降、ボランティアで2010年までに9基の山鉾の軸組の実測調査を終えおられ。そのような取組みが2010年からの大船鉾(おおふねほこ)の復元設計、2018年からの鷹山(たかやま)の復元設計の実務につながったとのことです。

そして、「標準化された鉾の軸組」について話されましたが。この部分は、末川さんから

ご提供いただいた「解説文」を、以下に引用させていただきます。

«
華やかな懸装品の陰に隠れがちですが、祇園祭の鉾の木部軸組は、日本の誇る伝統軸組構法の一つの完成形であると考えています。短期間での組立てと解体を前提とし、地上25mに及ぶ真木を人力だけで建て起し、さらにそれを辻回しできるようにした構造体。

一般の建築物をはるかに越える性能。実物大の試行錯誤を繰り返し、それを可能にする技術が実現。極端な柔構造であり、おそらくは京町家を作り上げた大工が製作したと思われます。

文化文政期に技術的な到達点を迎えます。鉾の巨大化とともに部材の数が減り構造がよりシンプルになります。その到達点が鶏鉾(にわとりほこ)と長刀鉾(なぎなたぼこ)だと考えます。
  • 巨大な真木は櫓の下部の心木受梁に載り、その重心は下げられます。
  • その途中、予め圧縮力を持つ4本のカムロ柱による四角錘で真木を全方向に支えます。
  • このカムロ柱が載る燧は櫓の上に縄でくくられるだけ、真木の変位に追随して櫓の上を滑ります。
以上、真木が鉾の中で自立し、巡行による水平方向の力に耐える仕組みです。
鉾を巡行中に90度回転させる所作、辻回しは圧巻です。しかし鉾に加わる最大の水平力は、辻回しではなく、鉾建ての際に掛る重力です。鉾の建て方の中に巡行の安全を検証するシステムが内在しています。

»
続けて、「鷹山の復元設計」を話されましたが、以下、末川さんの「解説文」の引用です。

«
2018年から復元設計を行った鷹山は祇園祭の曳山というジャンルに入ります。
外観は鉾に似ていますが、歴史的な成り立ちも、軸組の構造も鉾とは異なっています。
また鉾の軸組は一種類に標準化されているのに対し、曳山の構造はそれぞれに異なります。

4本の野柱で屋形を支持する山、2本の野柱で屋形と真松を支持する山、化粧柱を金物で補強して屋形と真松を支持する山、それぞれ個別に構造的な解決が為されています。

鷹山の設計の与条件では

①文政期:巡行末期の形態で復元→絵画資料を参照
②ご神体人形を「見せる」山とする→化粧柱4本のみでの支持を目指す
③安全安心な復元を旨とする→構造の合理性を考える

また保存会からの要望では、他の鉾より頂いた支給部材の再利用の前提がありました。
4本の化粧柱を構造材として扱うこと。それらを舞台の下で、梁間桁行方向とも逆向きの鳥居型で拘束すること。強軸方向を梁間に向けること。それらの構造の仕組によって大型の曳山の屋形と真松を自立させ、巡行に耐えるよう計画しています。

»
さらに、話は「大船鉾の復元設計」へ続きます。以下が、末川さんの「解説文」からのその部分の引用です。

«
2014年に大船鉾が巡行復帰できたのは、同じ新町通りにある船鉾の軸組調査をさせて頂いたおかげです。三次元の曲面で造られる船型の船体ですが、三次元に削り出す構造材は2種4本のみ、他はすべて二次元での寸法管理ができていました。このことで、建築の伝統軸組構法の枠内で設計も施工もできると確信できました。江戸時代から町内に残る水引幕で船体の大きさを決定しています。

屋形の設計では江戸時代の11点の絵画資料を各部位ごとに一覧で比較し、参考に出来る資料を一点に絞り込んで設計を行いました。
2017年には鉾を収納し、祭の飾り席となる町会所(ちょうかいしょ)の改修設計を行いました。
そのプロジェクトは2019年にユネスコアジア太平洋文化遺産保全のグランプリを受賞しました。

»
最後に「まとめ」として、以下の点を指摘されました。ここも、末川さんの「解説文」を引用いたします。

»
  • 大船鉾と鷹山の設計の違い

大船鉾の設計での苦労は、やはりその形のむつかしさ、曲面をつくる部材の寸法管理、それらを江戸時代から守られてきた懸装品に合わせことでした。部材の数は船体で150近く、屋形では260超、合計で400を超えます。焼失150年目の節目の巡行復帰に合せ、それぞれを半年間と1年間の設計期間でまとめる時間との勝負もシビアでした。

一方、鷹山の設計で神経をつかっているのは、その安全性の確保です。実際に真松が建てられるか、新町通りと三条通りの狭い交差点で辻回しができるか、巡行での揺れ、水平力を化粧の4本柱が受けきれるか、実際の巡行が果たされる来年(2022年)の巡行復帰まで気を抜くことはできません。しかし仮組された屋形の形状はそれなりにきれいにできているはうれしく思っています。


  • ブータンと祇園祭の意外な近さ

末川が赴任した当時、ブータンでの暮らしはすべて仏教に則っていました。病気の平癒祈願も、冠婚葬祭も、裁判所建設の地鎮祭も竣工式も、すべてが僧侶による法要(プジャ)で行われていました。そこで使われる楽器が太鼓と鉦とチベッタンホルンです。2年余りで聞きなれたその調べでした。そして京都に戻って半年後、4年ぶりに聞く祇園囃子のコンチキチン、その太鼓と鉦と笛の音色がほぼほぼプジャの楽曲とかぶることにびっくりしました。

昨年国宝に指定された八坂神社(祇園社)の本殿、日本では唯一の八坂造、複雑な入母屋の屋根がその特徴ですが、その平面形は12の出隅と8の入隅をもつ形です。日本ではただ一つですが、ブータンやチベットでは最も一般的な寺院のプラン、曼陀羅の平面形です。その立地も谷間に突き出す東西の尾根の上、ブータンの密教寺院と全くかぶります。(オンラインサロンでは話しませんでしたが、さらに加えると綾傘鉾(あやかさほこ)の稚児の八坂神社のお参り。右廻りで3周です。これもまったくチベット仏教の奇数の右繞と同一です)

ほとんどの人が知りませんが祇園祭とチベット密教、かなりダイレクトなつながりが見られます。

»
以上ですが、末川さんには、お話しいただいただけでなく、詳しい「解説文」を提供いただき、大変にお世話になりました。ここに、改めて感謝申し上げます。

(記事執筆:栗原佳美)
<無断転載ご遠慮ください>

アンドモア
〇「祇園祭山鉾連合会」のホームページです。
http://www.gionmatsuri.or.jp/

〇今年度(2021年度)の予定や行事内容は、以下をご参照ください。
https://kyototravel.info/gionmaturi

〇四条町大船鉾保存会のホームページです。
http://www.ofunehoko.jp/

〇鷹山保存会のホームページです。
http://www.takayama.or.jp/

〇ユネスコアジア太平洋文化遺産保全賞の最優秀賞受賞については、以下の記事をご覧ください。
http://kyoto-machisen.jp/information/sp/news-detail.php?id=92

〇ブータンの伝統建築については、「末川協建築設計事務所」のホームページ所載の、以下の記事をご覧ください。
豊富な写真も掲載されています。
https://www.kyosue.com/bhutan/
次回からの「楽平家オンラインサロン」
7月の予定は、オーストラリアから、ミャンマー文学とミャンマーの国民食モヒンガーについて、オーストラリアから高橋ゆりさんのお話しです。いつも通り、第2水曜日14日の午後8時から9時半まで(日本時間)です。

8月は11日に、135以上のミャンマー民族の布でバッグをつくる、ファブリックブランド『モリンガ』を立ち上げた、 二人の女性が、それぞれ、ミャンマーのヤンゴンと東京からお話をされます。

9月は8日に、ミャンマーの少数民族、シャンの社会や文化を長く研究されてきている、高谷紀夫さんがお話しされる予定です。
Laphetye
Made on
Tilda