大船鉾の設計での苦労は、やはりその形のむつかしさ、曲面をつくる部材の寸法管理、それらを江戸時代から守られてきた懸装品に合わせことでした。部材の数は船体で150近く、屋形では260超、合計で400を超えます。焼失150年目の節目の巡行復帰に合せ、それぞれを半年間と1年間の設計期間でまとめる時間との勝負もシビアでした。
一方、鷹山の設計で神経をつかっているのは、その安全性の確保です。実際に真松が建てられるか、新町通りと三条通りの狭い交差点で辻回しができるか、巡行での揺れ、水平力を化粧の4本柱が受けきれるか、実際の巡行が果たされる来年(2022年)の巡行復帰まで気を抜くことはできません。しかし仮組された屋形の形状はそれなりにきれいにできているはうれしく思っています。
末川が赴任した当時、ブータンでの暮らしはすべて仏教に則っていました。病気の平癒祈願も、冠婚葬祭も、裁判所建設の地鎮祭も竣工式も、すべてが僧侶による法要(プジャ)で行われていました。そこで使われる楽器が太鼓と鉦とチベッタンホルンです。2年余りで聞きなれたその調べでした。そして京都に戻って半年後、4年ぶりに聞く祇園囃子のコンチキチン、その太鼓と鉦と笛の音色がほぼほぼプジャの楽曲とかぶることにびっくりしました。
昨年国宝に指定された八坂神社(祇園社)の本殿、日本では唯一の八坂造、複雑な入母屋の屋根がその特徴ですが、その平面形は12の出隅と8の入隅をもつ形です。日本ではただ一つですが、ブータンやチベットでは最も一般的な寺院のプラン、曼陀羅の平面形です。その立地も谷間に突き出す東西の尾根の上、ブータンの密教寺院と全くかぶります。(オンラインサロンでは話しませんでしたが、さらに加えると綾傘鉾(あやかさほこ)の稚児の八坂神社のお参り。右廻りで3周です。これもまったくチベット仏教の奇数の右繞と同一です)
ほとんどの人が知りませんが祇園祭とチベット密教、かなりダイレクトなつながりが見られます。